ヒモ夫の日常

駄文、愚文

働く、好きな物などについて 「漢字ハカセ、研究者になる」を読んで

 

久しぶりに本を一冊読み切りました。色んな本をとっかえひっかえジャグリングして、つまみ食いをし、いつの間にか本以外のもの(ツムツム)にハマって読みきらない事が常です。

 

今回は私が大学でお世話になった教授・笹原宏之先生の(教授と先生で二重になっていますか?)本を読んでヌラヌラ考えたことを書きます。

 

 

 

 

すごくわかりやすく言うと笹原先生は漢字が大好きな人です。

 

好きすぎて研究をしていたら、それを扱う人間、人間が作った社会なんかも好きになったり、調べるようになって、あーだこーだあってやっぱり好きな漢字や言葉にいろんな意義や面白さがあるよなあ~となります。ざっくりです。

 

この本はそういった先生の幼少期や学生時代、研究者としてのあーだこーだを綴りつつ、コラムやエピソードで私達が日常的に使う「漢字」に関する誰かに自慢したくなるような知識や気付きを散りばめた感じ。

 

私は入学前の推薦合格者課題の時から先生の顔や声を知っていたし、こんなちんちくりんな私をゼミに招き入れてくれて単位もたくさんくれて好きなのですごく楽しく読めました。

 

漢字おもしろエピソードを引用すると、日本のへんな姓名のお話。

 

どうやら福井に昔「上沼田下沼田沼田 又一又右衛門」という「沼田フルコンプ藩士」が居たという資料があったそうです。

私も変な名前だな~と思ったのですが、実はもっと短いお名前が誤って伝聞されていたということが後の先生の調べで発覚したそうです。

 

こういうところが研究者なんだろうな、と思います。きっと私なら「こんな面白い名前の人がいるんだ!会話のネタに使えるじゃん!」と思います。

 

先生もそうしたかもしれないですが、後に調べその間違いを突き止めることにもおもしろさを覚えていたはず。

 

私なら調べもしないし、もしかしたら誤っている証拠の資料をジッポライターでいっちゃうかもしれないです。

 

以前、「面白い人」について自分なりに考えてゼミで発表してみた事があります。その時に先生から「おもしろい」ということが時に事実を捻じ曲げてしまうこともあると言われたことがあります。

 

芸人さんのトークや、フェイクニュースなんかもその現象の一つですがやっと実感を持ってその現象の様子や危険性を感じましたね。「おもしろければ」「興味を引ければ」何をやっても良い、という風潮は徐々に私達の感性に影響を与えているのを実感しました。

 

脱線しました。やはり私が興味をひかれるのは人が持っている求心力というか、知識・知ることに対してのワイルド感でした。

 

岡田斗司夫さん、伊集院光さん、立花隆さんなど私が触れて好きになった人はみんなそういうワイルド感を持っています。

 

先生の本を読んでみて、私が知らないだけでそういうワイルド人間がたくさんいるんだなと改めて実感しました。

 

「知る」「解る」という快感にも近い感覚は、人間誰しもが持っていますがそれをどこまで追うことができるのかは、その人の資質や環境、モチベーションとなるコンプレックスなどによって変わっていくと思います。

 

笹原先生は優しい人ですが、ワイルドです。

 

本のおしりの方に「何時間でも向き合えるものはあるか」という問いがありました。すごくタイムリーなんですが、現在私もほとんど趣味みたいな事を仕事にしていて日々その業界や仲間の話を聞いています。

 

その中でそのジャンルを「あまり好きじゃないかも」と思い、自分が好きなものって結局なんだろうか。と考えていたところでした。

 

この本を読んでから今一度考えてみたのですが、どうやら私は「知る」と「伝える」という行為そのもの、伝えるというよりは「言語化してストックする」の方が正しいのかもしれないですが、おしゃべりや書くことも好きなので自分にも伝えるという意味も含めてそれが好きだと思います。

 

またまたタイムリーなんですが、今アニメのお仕事で各地の「神話」について調べています。先生ほどではないですが、できるだけ詳しそうな書籍にあたってパラパラと読んでいます。

 

それがすごく楽しいので仕事を振ってくださった方に伝えると「きっと楽しめると思っていたよ。知ることと、言語化することを楽しんでね。」と言ってくれました。

 

自分でもなんとなく知らないことを知るのは楽しいことだな~と思っていたし、先生の本を読んで考えて輪郭が浮かんできたし、他人から見てもそうなら、きっとそうなんじゃないかなと思います。

 

と考えると「ライター」という広大な職業はなんだかんだ自分にあっているかと思います。

 

もう一つのテーマの「働く」ということもなんだか解消された気がするのですが、この本では先生の仕事についても書かれています。

 

ちょうど私は大学を卒業し「なんでも好きにしろよ」空間を生きています。明日から何もしたくない、と私が思えば何もしなくても別に良いのです。

 

それは今までの価値観上よろしくないことだと判断してお仕事をしているわけですが、自分の恋人や友人が新入社員として大きな会社で働いたり、自分自身がちょこっと「会社」というものを覗いてみると気づきや疑問が多かったのです。

 

私のような社会をしらない人間は「自分を認めてもらうことが快感だ」と思っているわけで、「個人」があまり目立たない集団での仕事をすることの楽しさややりがいみたいなものを本当の意味で理解はしていません。

 

でも周りには毎日一生懸命に働く方々がいて、その姿を見て私も数年後にはああなるぞ!と意気込む先月までは同じ身分だった友人たちがいるわけです。

 

そこでまた私の知りたい気持ちが出てきます。なぜそんなに心血を注いで働くことができるのか、そもそもそれはポーズで本心ではないのか、仕事って働くってなんだろうか、と考えることが多いです。

 

これは

   /へへ  \
  //⌒⌒\  \
  / /    ヽ  ヽ
 ||ヽ /⌒ |  |
  レY-・/ -・- ヽ  |
  | /     V) |
  |(_つ  ・  丿ノ
  |<三三>) / /
  ヽ ゙゙  /レソ
   \从ww/ |
    /) ̄  ∧
   /レヽ  / |\
   || | |⌒ ||


生活保護で生きていけるじゃないですか」みたいな事ではなくて、自分もそういう中にいて情報不足だから他の人の話を本気で聞いてみたいと思っているだけです。

 

私はこれまで「本気」を処女のように大事にして、クールを演じてきた人間です。部活や恋愛に本気になるってなんだろう?と。自分の頭の中で熱くなるのってダサいなという気分があって、それをねじ伏せられないまま中途半端になってきたタイプです。

 

今もその名残があります。でもさっき書いた好きなことに関してはいわゆる本気みたいな感じなので良いかなと思っています。

 

すごく脱線したんですけど、先生の仕事はとても理想的でした。漢字や言葉を研究し、たまに教える。

そして好きなことに付随してくる事務的な労働や必要な活動ももちろんこなされている。それを振り返って良い経験だったな~、あれも本分に生きるな~と感じているのではないでしょうか。

 

この話の結論としては「そんなもん」ということです。私は人間の知りたいという力や理性を信頼しているし、希望を持っている反面、自分も含め大したことのない所詮は地球に生きる動物だよな~とも思っているし毎回書いています。

 

もしかしたら先生も本には書けないだけで「書類なんか書かせやがって畜生が!漢字だ!漢字を持って来い!」なんて言って「ヤケ漢字」をしていたと思います。していたほうがおもしろいですよ。

 

また事実を捻じ曲げてしまった!

 

そうそう先生が何度か書いている言葉で「不確かなことは言葉にしたくない」というのがすごく刺さりましたね。私には無理だな~。ずっと空想や妄想、願望などなど現実とは一切関係のない不確かなことばかり考え書いてきたのでそれにはまいりましたね。でも私の不確かなことは他に迷惑をかけていない(と思いたい……)ので許すことにします……。

 

また脱線しましたが、とにかく好きな活動をエンジンとし少しづつドリルみたいにカリカリ進んでいけば振り返った時にとんでもない距離を走った経験や発掘できたお宝があったぜ!みたいなことですよね。

 

つくづく運がいいと思います。悩んで考えていたらひょんなことからヒントや現状の回答に近いものが得られたりする。それを知るのもまた気持ちいいことでした。

 

最後に本でも紹介されていた韓国のことわざが好きなので紹介します。千里の道も一歩から、のポジティブバージョンで「始めてしまえばもう半分」というのがあるそうです。

 

謙虚で素敵なことわざも良いですが、大胆でポジティブな韓国の考え方もいいですね。

 

あと、神話の本を読んでいるとおもしろい視点にも出会えたのでいつかシェアします。先生が漢字を調べて、その過程を構成に残すことと「神話」や物語を継承していくことはすごく似ていて、意義があることだったんだなと思いました。