ヒモ夫の日常

駄文、愚文

飲み会雑談メモ 「ストーリー論」

定期的に2人で飲む「Gさん」という方がいる。

 

昔バイトのようなもの(説明がだるい)で上司というか出資者のような方に声掛けしてもらい、そこから紆余曲折(エンタメ好きが開花するなど)あって個人的には良い友人関係を築けたと思う。

 

ちょうど倍くらいの年の差ではあるけど、境遇や趣味が同じで、私の考え方に寄り添ってくれる方なので楽しい。

 

その飲み会では色んな例えを交えながら、見聞したエンタメや書籍などを関連させながらその時々に考えていることを話たりする。

 

前回は、「脳みそで快感を得る人間」と「体で快感を得る人間」がいるという論が会話の中で生まれた。

 

私とGさんはフィジカル的な気持ちよさ(アクティビティ、セックスなど)よりも、脳内で感じる刺激(読書、作品鑑賞)などを優先しがちみたいなことだ。

 

今後もこのようなブログを書くことがありそうなので、前提としてそういう会合を行っていることを書く。

 

そして、この「論」は世間一般の人がなんとなくモヤっている心中だと思う。遊びの中で出てきた事を自分の言葉で標本として書き記して置くことが必要だと思う故にこれを書く。

 

面白いストーリーを語ったもの勝ち

ストーリー論とは「この先、面白いストーリーを語り、多くの人を巻き込んだものが得をする」と言うことだ。

 

ここでいう「ストーリー」とは「作品、思想、ビジネス、ビジョン、夢、野望‥」とする。

 

なぜそのような論になったのか。

 

私が元オウム信者上祐史浩氏のインタビューや「Qアノン」のドキュメンタリー番組を見て宗教に興味を持ったのが発端。彼のインタビューでは、トップ(教祖など)が己の教義(教えや信念)を盲信し人を巻き込む。どんなに馬鹿げた宗教でもトップの信念が強ければ強いほど人々も信じてしまう。だからどんなに高学歴でも有毒ガスを製作したり、米議会襲撃事件を起こしてしまう。

 

とかたった。私は自分の生きる世界にそのような空間が渦巻いていることが面白かったのだが、Gさんは「ベンチャー企業なんかどこもそうだよ」と言った。

 

考えてみると、「誰かの理想に人が集いコミュニティを形成する」という構造はベンチャー企業や宗教だけでなく、オンラインサロン、大学、習い事なども含めてどこでも存在している。

 

そのトップにあるものの理想が深いほど、大きな集団になり大いなる力を持つというわけだ。

 

現に私は庵野秀明という人の作品や思想が大好きだし、伊集院光という人間と一心同体だと感じている部分もある。

 

以下に面白いストーリーテリングをして、誰かを自分の物語に参加させるか。

 

この「ストーリー論」は現在の資本主義社会の中心的なものだと僕は感じた。

 

しかし誰もが素晴らしいストーリーを語ることは難しい。ストーリーを語る人とストーリーに巻き込まれる人。その2つの生き方が発生してしまう。(搾取する人、される人的な)

 

そこでもう一つ。「編集者」の存在がある。

 

誰かのストーリーを編集し再発信することで価値を出していく存在だ。私が現在行っている記事執筆や映画やアニメのレビューはその「編集と再発信」に当たるものではないか。

 

自分のストーリーを構築出来ずとも、他人のものを編集しより良い価値を足して行く道だ。Gさんがいう松岡正剛の編集工学もその1つで、ストーリーをより伝播させる役割だ。そのためには多くのストーリーに触れ、解釈し整頓していく必要がある。今後はこの編集という視点でものを見て行きたい。また編集工学についても学んでいきたい。

 

人間は常に何かのストーリーの中にいる。生まれた時から多くの人はそうだと思う。語りべになれ、編集者になれとは言わないけれど、「自分/他人のストーリー」を意識して生活するだけで、違った視点で生きることができるのではないか。

 

「ストーリー」という言葉は自分がしっくり来るもので構わない。