ヒモ夫の日常

駄文、愚文

9月と10月振り返り

 

ofsp0604-oto363.hatenablog.com

 

2ヶ月に一回のペースになりつつあるメモブログです。

 

某所で書いています。今回は何も聞いておりません。

 

 

前回はゲームを一生懸命やるぞ!という話を書いております。

 

現在の生活スタイルにもだいぶ慣れて、合間合間にストリートファイターVをプレイしたり、飯を作ったり、映画見たりブログ書いたり記事書いたりと余裕が出来てきました。

 

現状報告と言えばそんな感じ。意外になれると楽しいもんです。人間の体はすごい。

 

 

アケコンを買う

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この度憧れていたアーケードコントローラーを買いました。中古で古い型のものですが、一旦ばらして拭いたりし、レバーやボタンを新しいものに変え、ステッカーをペタペタ貼っています。

 

中古品独特の匂いがあるため、近くでお香を焚きまくって匂いを付ける作業もしています。この子を愛しています。

 

 

噛み砕く側になれ!

 

文章力は思考の回数や質、持っている情報や経験からじわりと滲み出るものだ!みたいな話をどこかでしたと思います。なので良い文章を書くことが当面の目標である私は地道な日々の生活での努力が必要です。険しい道。

 

面白いことに多分「話す」はちょっと違いますよね。どんなにおもしろい経験をしていても話がおもしろくなるとは限りません。言葉はログが残らないし、書くことよりもカロリーがすごく低いんです。手軽。

 

だから責任感が薄れます。そうなるといろんな言葉がどんどん口から溢れて自分をどんどん覆っていくんです。そして言葉がまとわりついた自分にすごく価値があるような気分になります。

 

いわゆる自慢話みたくなってしまいます。離せば話すほど自分がなんだか素晴らしい人間な気がしてくる。ただかっこつけて言っただけに過ぎない、その日の夜には忘れてしまうような大口で自尊心だけが育って一時的な満足で終わってしまいやすいのかもしれないです。

 

これは書くことにも共通していますが、言うよりはその性質が抑えられるかと思います。自分の頭に浮かんだことをそのまま口に出さずに、手を使って紙や画面に言葉を写す必要があるからです。書きながら普通は読みますからね。

 

そこで一旦自分が言いたいことを客観的に見て、「これは大きいこと言いすぎたな」「こりゃ責任持てないな」と冷静に分析するはずです。自分を過剰に修飾しすぎないけど、言いたいことは書き留めることはできるかと思います。

 

話すことよりも、書くときのほうが自分を客観視しやすいので、率直で伝わりやすく、自分に正直に過不足なく表現できるかと思います。しかし読み手にとって、「読む」という行為は近年かなりカロリーの高い作業になっているのでそこは問題点です。

 

 

前置きが長くなりましたが、何でも良いから基礎的な情報を入れていく作業はだんだん必要がなくなってきたので今度は、仕入れる先を選んで行きたいですね。

 

世の中にはいろんな、「情報噛み砕き屋さん」がいてそれなりに需要があるようです。その役割を自分がやる側になりたいので、砕き屋さんの情報を砕いてもあんまり意味がない。

 

かと言って手軽に情報を集めるには頼りがいのある存在なので、基本に立ち返りって1意見、1解釈、1情報として取り扱うことが適切だと思います。それ以上のものは自分で取りにいきたいですね。

 

生意気にも自分の色がついた情報を発したい欲が出ているので、ニュートラルな形のものを取り入れて自分で噛み砕いておきたいのです。少しレベルアップ。