ヒモ夫の日常

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【映画レビュー】『100日間生きたワニ』の正直な感想

『100日間生きたワニ』

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カエル君……

しっかり『100日間生きたワニ』を初日に見てきました。

 

完結前にも、公開前日にもゴタゴタあり。

 

席の予約で遊んだり公開前に嘘の感想を述べたりと色々あったみたいですね。

天下の人志松本やユーチューバーのおかげで「大喜利」という言葉が市民権を得て、学校や町中でもその言葉を聞くようになりましたが、映画館にも制作側にも迷惑な話ですよね。大喜利が免罪符みたいになってません??

 

とは言え私もTwitter漫画でのワニは最後まで読んでいたものの、書籍やグッズなどには手を出さず(ラインスタンプは買ってた)広告会社関連の話もあって特に観る予定もなかったです。

 

しかし私は大の上田慎一郎ファン。それは見ないわけにはいかないじゃないですか。

またしかし、上田慎一郎監督だからといって何でも手放しに褒めるのも嫌ですし、作品も作品なうえにひん曲がった性格なのでかっこつけて贔屓なんかするもんかっておもっちゃうわけですよ。何の評論家でもないパンピーのくせに。

 

 

結論から言うと

 

喪失を受け入れるっていう映画としてよくできていたと思います。

 

たまにやる点数でいうと

MAX80点 AVG70点くらいだと思います。自分の中では高いつもりです。

その理由などなど簡潔に。

 

 

石の投げ方を考えてみる

ちょろっとTwitterで見たところビジュアルの批判が多いんですよね。中には見てない方もいらっしゃるかと思います。

まず見てない方が批判する権利はないというのは明白で、個人的に作画等にやれ汚いだの雑だのと文句を言うのは少しズレているんじゃないかと思います。

 

そもそも私がさほど美術とか景色とかキャラデザに重きを置いて観ないこともあると思いますが、今の時代ほぼ実写みたいな画を作るのは可能ですし実写に寄せる必要はないんじゃないかな~と思ってます。時間と予算の許す限りで世界観を表現しようとしているわけで。リアルすぎてアニメの面白さがなくなっていたら本末転倒ですしね。

 

脱線しましたが、あの原作のワニをちゃんと映画にしてましたよ。みんな綺麗なアニメ作品を観すぎて麻痺している可能性があります。私もそこまで詳しいわけじゃないですが味があって癖の強い面白いアニメいっぱいありますからね!

 

動きが雑だとか絵がひどいだのは好き嫌いの話であって、大きな声で批評のように言うことではないのかな。世界観を作るためにそういう表現が必要であるかどうか、そしてそれを楽しめるかどうかならまだ良いのかなと思ったり。

ヌルヌル動く3DCGではあのワニ感は出ないとも思います。

 

タイトル変更の解釈

原作の

100日後に死ぬワニ

ではなく今回は100日間生きたワニ。

監督のインタビューや舞台挨拶等はまだ見れていませんが、コメントなどを読むと「コロナ等の影響で、死を意識しなければいけない世界になった。その中でどのように生きていくか」的なことが書いてありましたね。

 

私の解釈は少し違いましたが、監督のコメントに納得できたので下に書いておきます。

 

Twitterで読んでいたワニのどこが面白かったのか。

 

それはこのワニがどうやって死んでしまうのかという謎に引き込まれたからだ。

というような意見が多い気がしますが私は違います。ワニで面白い部分はあのシュールなギャグでした。それも「死」をフリにしたちょっぴり不謹慎な感じやピリッとした部分でクスッと笑ってしまったんですよね。

 

ねずみ「人は簡単に死なねーよ!!!」 ~死ぬまであと80日~

 

ワニ「気をつけないと死んじゃうよ!」 ~死ぬまであと70日~

 

みたいな、お前の友達死ぬんじゃねえのか! 人に注意してる場合か! って思わず突っ込みたくなるような感覚。 ほのぼのとしたあるあるや彼らの内輪ノリに「死」という要素が加わるだけで笑えてしまうあの不思議さがワニが面白いところでした。

 

作者の意図はちょっとわかりませんが、原作ワニは「死」をユーモアにしつつ日が経つほどに意味が変わっていった印象。最後もああいう終わり方。

 

それに対して、100日間生きたワニは「死」をストレートに捉えたものかなと。原作の結末ありきで作るわけですから路線が原作初期とは少し違う。

そして4コマという性質とは違う、60分で画が動いて人の声までついてしまいます。

これではあの不思議な面白さは表現できない。人の声という生身の部分が干渉するだけで「死」がシュールにならないんですよね。生々しさや不謹慎さが目立つはずです。

それに監督が言ったような「死」の感覚が社会に漂いつつある。

 

ワニの笑える要素がまったく役に立たなくなってしまうのがアニメ映画になるということ。だから笑えないつまらないという意見があっても当然。「死」を笑いに使うことが難しいんです。だから映画を見ていて彼らの「死」をフリにしたギャグやセリフがなんだか切なくなったり、原作の笑いどころを知っていた人からすればスベってるように感じてしまう。

 

千鳥のノブさんが標準語でツッコんでいたら、面白いとは思いますがここまで流行ることはなかったでしょう。結果論ですかね?

 

「死」の向き合い方が原作と映画で違うから(違わざるを得ない)タイトルが変わっているのかなとお思います。

 

 

あのカエルは何でいたのか

 

異様に登場キャラを嫌う方もいますよね。スターウォーズに登場したジャージャーというキャラは視聴者に嫌われすぎてギネスブックにも乗ってました。

 

圧倒的に多かったマイナス意見が

 

「新キャラのカエルがうざい。」

「ワニが死んで落ち込んでいる登場キャラに感情移入してるから死ぬほど嫌なやつだと感じた」

 

というものでした。事実私が一緒に観た人物も「最初はカエルがやだった」と言っていました。人間、フィクションをどこか作り話だと思って観るくせに嫌いなものには冷静になれないもんです。

 

こういうときこそ、この明らかに嫌われそうなキャラはなんのために存在するのか?

 

と考えればいいのになあと思いますが。

 

かくいう私もあのカエルにはイライラした、というよりはこういう奴いるよなあと少し嫌いな人の顔とか想像したりしました。上記のコメントにもあった通りこっちはワニを失って悲しい気持ちになった彼らに共感しているのでより鬱陶しく、空気が読めないやつだなあなんて思ってしまう。

 

しかし映画を見ていくとカエルくんも、詳しくは語らないまでも(もっと触れなくても良かった)何か事情があることがわかる。

 

そこで私が思い浮かべていた空気の読めない、ノリの違う苦手な人達の顔がフラッシュバックする。

 

そして彼らも辛いこととか嫌なことがあることがわかる。

 

ワニの喪失でいっぱいいっぱいになっていたからこそ気づかない、他人の喪失の感覚が自然に感じられました。

 

辛いのは自分だけではない。至極まっとうな話です。しかもいろんな映画やアニメで語られてきたことでもある。どんなに嫌いな苦手な相手でもそいつだって日々苦しんでるかも知れない。

 

ねずみくんはそんなカエルくんを受け入れますが、私達も受け入れないまでも嫌なやつも苦しんでるのでは?と思うだけでなんか許せたり気持ちの整理がつくこともあるんじゃないかなあって思ったわけです。

 

私も個人的に新しい人間関係でちょっと疲れそうだったんですが、軽くなりましたよ。

コロナ禍でいろんな衝突や理解できないもんたくさん見てると思いますがそれぞれやな事もあるよなと。だからと言って人を攻撃したり迷惑かけていいってわけじゃないですが。

 

そこは個人の倫理観と理性でしかどうにもならないし、映画にそこまで教わらないといけねえのかと思いますが。とりあえずそんな感じでした。

 

まとめ

まあそんな感じでした。ワニを映画化するなんて無茶だし、上田監督苦労したんだろうなあなんて思いながらなんとなく観に行きましたが。なんだかポカポカしましたよ。

喪失から立ち直るなんて簡単なことではなく、ワニ先輩なんてあの映画を見終えたことでやっとワニくんとの対話がまた始まるわけですし、結婚したって友だちができたって一生うまることはない。あの2人が結婚することになったのもあの死があったからかもしれないし。まあ色々ありますよ。

 

私にはまだ死の感覚や喪失はわからない。実体験をまだしていないから。こればっかりは実体験が無いとどうしてもわかりませんよ。感動と実体験は別物ですからね。でも少なくとも自分にも相手にも少し楽に、優しくなれるような映画でした。