【映画レビュー・感想】『花束みたいな恋をした』
【映画レビュー・感想】『花束みたいな恋をした』
じつは別の記事と一緒に、映画レビューを書いてたんですが、思った以上に長くなったので、分けます。
なので今回は花束みたいな恋をしたについてレビューしていきます。
- 【映画レビュー・感想】『花束みたいな恋をした』
- 花束みたいな恋をした
- ズバリ!どうだったん?!
- リアルを超えた「普通感」
- オタクが普通になっている
- 価値観の違いってなんだろうか
- 明日はボヘミアンラプソディ(IMAX)
花束みたいな恋をした
版権ってもはや個人情報みたいでドキドキしません??
別に誰に見られても、
E2に座ってたあいつか!!とはならないと思うんですが。
菅田将暉と有村架純が主演の、恋愛映画。アルキメデスの大戦以来の劇場で見る邦画でした。また菅田将暉ですね。
あらすじはだるいのでコピペします。
坂元裕二脚本で贈る、終電後に恋に落ちた2人の忘れられない5年間。
東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。
映画の興行は、宣伝がすべてだと、ジブリの大プロデューサー鈴木敏夫さんが言ってました。
そのとおり。
このあらすじだと普通のキラキラしたカップルに見えますよね。
しかも菅田将暉と有村架純が主演ときたら、キュンキュンする映画を想像するもんですが、
ぜんぜん違う。
笑っちゃうくらい違いました。2015年から2020年までの二人を描いた作品なんですが、
15年当時の人からすると、オタクな二人の話です。
好きな映画や音楽が、ちょっとセンスが良さげというか、サブカル人の二人なんですよね。
もう少しわかりやすく言うと、ヴィレヴァンの店員カップルって感じです。
ちょっと違うな。ヴィレヴァンよりは控えめで、まんだらけよりは明るいって感じでした。
そんな二人が、淡々ときれいにすれ違っていく映画でした。
ズバリ!どうだったん?!
良かったです。
よく映画を点数化したり、星で評価したりしますよね。
私はそれが苦手で、映画評価サイトやアプリを使っていないんですが、最近オリジナル評価にハマっています!!
映画の平均値と最高値をつけるんですよ。
この映画だと
max:90
avg(average):75
※100点満点
という感じでした。最低値は誰も得しないので良いです。
映画を見ていたら、嫌な気持ちになったり、退屈だったりするところと、感動したりテンションが上がる部分それぞれ絶対あるんですよね。
だから超良かったところと、全体通しての感じの2つを出しています。
細かい数学的な指摘はしないでください。計算もしないでください。
リアルを超えた「普通感」
複雑な気持ちになったので、レビューが難しいんですけど取り敢えず褒めたいと思います。
私は邦画の恋愛ものが苦手です。コメディでもリアル系でもないどっちつかずな作風も、月9ドラマみたいなこってりなのも苦手です。
どうしても実写はリアリティが先行しすぎて、コメディ要素が寒くなったり、セリフや展開にどうしても敏感になってしまいます。
実写なのに、パンを咥えた転校生と角でぶつかって物語が始まったらちょっと冷めちゃう感じです。コメディだったら良いんですけどね。
もちろんこの作品でも気になるところはありましたが、フィクション的要素を割と我慢して地味に進んでいくのと、設定がハマってかなりスムーズに見れました。
もはやリアルというか「普通」なんですよ。
同じ趣味を持っていた分身のような二人が、些細な言葉や、環境のせいで綺麗にすれ違っていくんです。
今まで見た映像の中で、男女のすれ違いを一番自然に描いていたと思います。
ちょっと地味なので、映画館にたくさんいた女子高生とか、菅田将暉と有村架純につられて見に来た女の子たちは大丈夫なのか??
と思いましたが、楽しそうに、でも複雑そうな顔しながら帰っていったので驚きました。ギャル二人が彼氏との関係をしんみりと話しながら帰っていったのも驚き。
サブカル人が主人公なので、アニメ監督や小説家、バンドなんかがいっぱい出てくるんですよ。そのネタが生理的に受け付けなくてちょっと点数が下がった部分でもあったんですが、何も知らない人から聞けば
「こいつら何の話をしてるんや?」
状態だと思ったんですよね。なのに上記のような観客が多数いました。
オタクが普通になっている
さっきの理由は、シンプルにこれかなと思います。
オタク二人の静かな恋愛を観る、だったと思います。もし2015年に公開されていればですけど。
きっと好きなものがある人、ハマってるものがある人を観るのに慣れている、そして自分もそういった要素を持っていることを理解しているからスッとJKでも受け入れられた部分もあるんじゃないでしょうか。
この人達も好きなもんあるんだ~微笑ましいな~というノリです。
造り手側もそういう意識だと思います。いわゆるオタク・イズ・デッド。
もはやあの二人のような当時で言うサブカル人は今はもう普通。
誰もがああいう世界を持っていて、簡単に捨てて生活をする。
芸人の大島育宙さんはこの映画を見て、「彼らには大事にしたいカルチャーがあるようには見えなかった」とTwitterでつぶやいていましたが、はなからそういう気持ちを持ったオタクやサブカル人なんて、もういないんですよ。
誰もが、昔のもの最新のものに簡単に触れられるようになった世の中で、プチオタク、プチサブカル人にだれもがなれるようになった。
よって当時からすると、サブカル人の二人なんだけども、今見る物語としてはシンプルな一般人の普通の失恋に見えるのではないかな、と思います。
これならわざわざ現代から少し前の時代設定をしたのにも納得行くし、みんなが割と抵抗なく見れるのもうなずける。
と勝手に納得しています。オタク・イズ・デッドって調べるともう少しよく理解ができると思います。
価値観の違いってなんだろうか
ちょっと気になるところもありましたが、そこを補って余りある自然さで面白かったです。
五年間であんなに仲良しだった二人の関係がどんどん変化していきます。最終的には別れるんですけど、納得できるんですよね。
めっちゃわかりやすい。金とか仕事とか色々あるんですけど、あの二人がすれ違った原因は実にシンプルで、価値観の変化なんですよ。
実生活では、価値観の違いで別れたカップルって多く見ますよね。
私はそれ理解できませんでした。付き合いたてならまだしも、長年付き合って価値観の違いってなんやねんって思ってました。
でも違いじゃなくて、価値観の変化に気づけずに修正できなかったんですよね。
人は変わりますからね。でも自分の変化も他人の変化も気づくのは難しい。だからいつの間にか、なんでこんな合わない人と付き合ってたんだ??
ってなるんだと思います。花束みたいな恋をした、ではそんな二人を描いている。タイトル通りです。
自分の成長や変化とともに、パートナーへのイメージや二人の関係性もアップデートしていかなければいけなかったんですねあの二人は。それを怠った結果がアレなわけです。
至極シンプルな話。大抵そういうシンプルなことに限って気づかないことが多いですからそれに気づけた作品でした。
友達や恋人、家族でもそのつど客観的に軽く接していかないと、いわゆる価値観の違いが生まれてしまうというわけです。
そういう自然な二人の関係の流れが綺麗で、最後はスッキリしました。
なんか途中就活とか、サブカル趣味のなんか気恥ずかしさみたいなのでモヤモヤした気もしますが、終わりよければ全てよし。映画見たなあって気持ちになりました!
明日はボヘミアンラプソディ(IMAX)
そうです。明日は前回行けなかったボヘミアンラプソディのIMAX再上映。
実質ライブエイド参加。またブログを書いてしまうかもしれません。