ヒモ夫の日常

駄文、愚文

大学生と名画 番外編 「千と千尋の神隠し」(2001年)

千と千尋の神隠し」(2001年)

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明日は、もののけ姫2回目見に行きます。

こんにちは。もののけ姫を見てから毎日映画館に通って、ジブリを見ています。今日で四日目。明日はもののけ姫を見に行きます。4作品上映なはずなのに、5日めに突入するってどういうことでしょうか。

番外編を書きたいと思ってしまったんですね。だから今日の見るべき映画も放棄してまずブログを書いています。それに加えて、今日は金曜ロードショーでコクリコ坂やるのでこれも見なければなりません。どんな金曜日なんだ。

今日はそんな映画の「千と千尋の神隠し」です。

私はこの映画が大好きでした。5,6歳まではほぼ毎週のようにビデオでみていたような気がします。今回映画館で上映した4作品、いや全ジブリ作品の中で、内容を記憶している映画です。ゆえに思い出補正がのって好きなんですよ。あの蚊とネズミのキャラクターや、ススワタリ、釜爺、顔のでかい登場人物たち、子供でもとっつきやすくて、テンポも良くて見やすい作品だからですね。

私の母がよく言う話で、ある日「母さん、全ては愛だよ」と3歳くらいの時に言っていたそうです。なんのこっちゃわかんなかったんですが、今日謎が解けました。蜘蛛のおじさんキャラである釜爺のセリフを真似していたんですね。まあそれくらい好きだったっていう話です。

なので、どんなもんかなとお試しで観たいっていうのが本音でしたね。たくさん見たし、岡田斗司夫の入れ知恵のおかげで裏側も多少はしれていたので、どうなふうに見れるのか楽しみでした。もしかしたら批判的に思うかもしれないし、トトロみたいな感情になるのかもなんて思っていましたが、最高に面白かったです。

理由は3点くらいあって、まずは「共感できる部分が増えた」ということです。子供の感性で見ることしか出来なかった昔とは違って、千尋、働く若い衆はもちろん、もはや両親の領域にも入れるような年齢と体験だったということ。

2つ目は、「細部を見る力がついた」ということです。ストーリー、設定、テーマなどの他に、作画やカメラ技法、オブジェクトやセリフ等を注意して総合的に見れていることです。やはりキャラクターの言動の可愛さや、展開の良さにグッともって行かれそうになる部分もあって宮崎駿ーーーーーーーーー!!!と叫びながら涙をこらえたところも多々ありました。

そこで3点目の「宮崎駿を齧っている最中である」ということです。ただの浦安鉄筋家族に出てくる優しいおじさんだと思っていた宮崎駿に絶賛興味津々中だからです。彼の解説やインタビュー、ドキュメンタリー、クソみたいな名言寄せ集めネットサイトまで現在ディグって居る途中なので、より関心深く映画を見ることが出来ました。

この3つのおかげで当時よりも、おもしろく見ることが出来ました。あとはオタキングの解説を観て自分ではわからなかったことを補完すればある程度はいいでしょう!!!

どんな映画?

書きたいことがたくさんあるので、ここは早めに切り上げていきますが、お仕事アニメ映画でしょう。バブル崩壊だ、ゆとり世代だどうのこうのと言ってる割とカオスな社会をデフォルメしてファンタジーにしたのではないかなと思います。

岡田氏によると七人の侍とかでさえ、時代背景のおかげでヒットした一発屋映画みたいなものだ、と話していたので社会という大きな力に一切影響していません!とは言えないだろうし。ずるい書き方をしてしまいましたね。保身ブログ。

千尋という少女が不思議な世界に紛れ込んでしまって、そこで自己形成して行くお話。お仕事アニメと言いましたが、高校生とか大学生とか、広義的な社会というかコミュニティに参加していればあるあるだなあ、と思うことも多いと思います。

そこに異変を感じているが、何も出来ていないところが嫌ですね。

気づいたこと、わからないこと

新しい部門作ってみました。

簡単に言えば、新入社員とか、バイトの新人とか新しい社会に参加してくる人間が、たくましくなっていくさまを描いていて、そもそもその社会もおかしいんだが・・・というお話ですよね。そこに学生生活っていうのは疑似社会体験なので、そういったニュアンスが含まれていると思います。グダグダ言わずに簡潔に。

ハクがおにぎりをあげるシーン

あそこ泣いてしまいました。子供のときは泣いたかどうかわかりません。

なんとかあの世界で命がつながった千を、ハクが励ましておにぎりを食わせるんですね。そして千尋は自分の名前を軽く忘れてしまう。ハクは、「本当の名前を忘れてはいけないよ、湯婆婆は名前を忘れさせて洗脳するんだ」的なことを言うんですよ。それでおにぎりを食べながら千尋は号泣するんですよね。そこで子供の頃は千尋可哀想・・・って思ってたんですよ。涙の理由がよくわからないからですね。

千尋は、両親に会えないとか、寂しいとかそういうことで泣いているわけではないんですよね。自分を忘れてしまっていたこと、忙しさや慣れない作業、自分の愚鈍さで心がすり減っていたんですね、そこでの優しさになんだか情けなくって嬉しくって涙を流しているんですよ。

こういうときって、自分ってなんで生きているのか、なんの目標持って日々過ごしてんのかよくわかんなくなって自分を見失いつつあるってこと多いですよね。バイト始めでも新入社員でもなんでもあまりの変化に置いてけぼりにされてしまっての涙で、ハクは自分を見失うんじゃねえぞ!って言ってくれてるわけですね。社会に惑わされるなよ!って鴨頭嘉人みたいな事を言ってるわけです。

無礼な千尋をみる

湯婆婆の部屋に入る際、「ノックもしないのかい!!!」って怒鳴られたり、お目付け役のリンさんに「釜爺に礼をしな!世話になったんだろ!」とか、顔でかい番台さんに意地悪されたりとか、細かいけど大事なルールや礼儀みたいなものを学んでいく千尋を見て、「うっ・・・」ってなりましたね。そういう仕組なんだから仕方ないし、なんなら私はヘコヘコして世間をサヴァイブするのが苦ではないタイプなので、もうちょっとうまくやれよーと思いつつ、嫌気が差しましたね。結局、こうやって息を殺して行くことしか出来ないし、ハクみてーな存在がいない人間はどうすればいいんだよ駿!!と思いました。

ハクはなぜあの世界へ??

この辺の話って子供には難しいですよね。

ハクも川の神様なので、本来ならば龍の姿で現れるはずなんですが、いつの間にかここに来た。と釜爺が言っていましたね。なぜ普通の人間なのでしょうか?

あのきったねえくせえ川の神様も、不法投棄されたゴミやヘドロがアホみたいに溜まっていてあの姿でしたね。湯婆婆は魔女なのですぐにピンときていたのですが、人間のせいであんな姿になってしまっています。琥珀川はマンションになってしまったと言っていたので、人間の姿になってしまったのか、もしくは自殺とか事件が怒ってその川にあの姿の死体が埋まっていたのかもしれません。

千尋はなんであの世界に迷い込んだのか

これはハクがなぜ湯婆婆のもとで修行をしていたかと関係があるような気がします。

ジブリっぽい考え方だと、千尋に会うために魔法を練習していて、それが引きつけてしまったORなにか人間界に行く用事があったのかもしれない。そのためには魔法を使う必要があったのかもしれないですね。

電車があったり、本や宝石、おもちゃなど他のキャラクターたちがもっていないものを湯婆婆やその姉は持っていたので、現実世界から持ってきたものかと思われます。多分マックスで高価なものは砂金だったので。

湯婆婆の呪い

あの印鑑は何かしらの契約印と言っていたような気がします。あれにこびりついていたのは、湯婆婆がハクをコントロールするための呪い。ハクを利用して何かしら野望があったのだと思います。

千尋が踏み潰したあとに、ハクが魔法を使うシーンがありましたね。ハクは優しいやつなのに湯婆婆の言うことを聞くはずない!みたいなこと言ってましたが、理由はこれだと思います。

ラストの千尋の顔

振り向かずに歩いてトンネルを潜る千尋。お母さんの腕を掴んで、不機嫌そうにオープニングと同じ表情で歩いています。

この時点で、あの世界での記憶は吹っ飛んでいることがわかります。そうじゃなかったらよくありがちな、お父さん!お母さん!良かった!的な顔をして歩いていると思うので。

でトンネルから出て穴を振り返り、神妙な顔をするんですよね。あそこで「なんか大変なことをしてきたような気がするなあ」とぼんやりと思い出している。それと同時になんか自分がお姉さんになったような気持ち、根拠はないけどなんか自信が胸に芽生えている。そこから思春期に突入していって、新しい生活を始めていく。そういう顔でありシーンだと思いますね。

だから、両親を助けて、元の世界に戻る!!っていうお話だと見せかけて、「少女が急に大人びるあの瞬間に、こんなことが起こっているかも」という妄想だと私は感じました。それが実際、バイトを始めたり、いろんな社会に混じっていく中で行われているというか、なんというか。自己形成して行く映画だ、といったのはこういうことです。

どうしても釈然としないのが、カオナシの存在です。千尋がお客と勘違いして、招き入れた厄介な存在で、そういうことあるわーと共感することもありつつ。あいつなんなんでしょう。

名前から考えてみます。カオナシ。顔がない。すぐ結び付けられるのは、「匿名」ということですよね。安全でずるい立場ですが、そういうインターネットとかにはびこっている人たちを表しているのでしょうか。

カオナシをアイドルに群がる痛いファンだと仮定したら、ちょっとしっくりするかもしれないですね。匿名をいいことに、己を誇大して乱暴に、豪勢に振る舞い、好意を押し付けて好意を返してもらおうとする。そういう人間たちを表しているのでしょうか。だとすると最後千尋が居場所を見つけてあげること、と整合性が取れなくなるような気がしますね。そんな事してあげる義理はないですからね。

セリフから考えてみます。「お前笑ってるのか?なぜ笑う」っていうセリフがあるんですよ。カオナシが頭でかい中居のおじさんに向かっていうセリフで、この気持よくわかるんですよね。小さいときから、笑わせるのは好きでしたが、笑われるのがすごく嫌いな人間だったんですよね。だから出川さんとかの転換はすごいと思います。

カオナシはそういう歪んだ自意識の象徴なのでしょうか。これは思春期によく発生しまだとしたら上で書いてることにもリンクしてきますし、一旦落ち着ける場所を提供してあげる義理もわかりますよね。物語上では、千尋が成長して誰かを導く余裕が出来たから、で片付きますが、カオナシがなんのメタファーであるか、ということを解き明かす鍵になるシーンだと思います。

その他は非常に細かくて、トンネルの中腹にあった休憩所のステンドグラスです。明らかに不自然。グーグルのロゴのようなカラーで、そこに刺した光はきちんとその色になっていました。エンディングでもまた写っていたので何かしら理由があるはずです。特にガラスの光ってジブリではいろんな事を暗示する部分なので知りたいです。

不思議な世界の入口付近の「目」も謎でした。目の絵や、模様、漢字、お店、ポスターにも写っていますが、あれは一体どういう意味なんでしょう。「視点」とか「視野」の話なんでしょうか。他にも釜爺がやけに優しいこと(ハクも頼れっていうぐらい)、湯婆婆の野望、現実世界に帰るための試験の意味不明さ、などなどたくさん疑問も出てきました。岡田斗司夫!!助けてくれ!!!!

好きなところ

長過ぎました。

書きたいことを書かせてください。テンポです。宮崎駿の映画はテンポが段違いに違います。ゲド戦記と比べて時間が一瞬で過ぎていく。それはキャラクターたちが能動的に動いているような感覚さえあります。

それは宮崎駿が物語を書く時は必ずキャラクター一人一人に、なりきって書いているからだそうです。インタビューでも岡田斗司夫も言ってましたが、すべて宮崎駿の視点が入っているんです。だからキャラクターたちに血が通っている。

あと高畑勲があまりにも締め切りを守らない姿を見て、どんなに大事な部分を削ったって締め切りに間に合わせようと思ったそうです。宮崎駿の映画が、難解というよりは説明不足なのもそのせいですね。

まとめ

いつもはこういうスタンスブログを書かないと決めているんですが、あの頃と比べて愛は変わらないですが、見方がとても変化したんだなと言うことで調子に乗ってたくさん書きました。

こんな恥ずかしいことは二度としませんよ。

まとめとしては、自分でいられる?ってことですよね。ハクか、どっちかのババアのセリフで一度あったことは忘れないよ、ってか忘れても残ってるぜみたいなこと言ってて、思い出す、意識するってことをしなさいよ。て言うことだと思いました。千尋は、耐えて適応して、自分の軸を作り思い出せるようになりました。それこそ愛や記憶によって成功しています。じゃあ何もない人はどうすればいいんだよ。駿ー。何もない人間なんていない!ってことか?駿ー!!!

何回も見てほしくないのに、もう一度映画館で見せてくれてありがとう駿ー!!!