神とわたし
最近なんかおかしかった
滅多にしない後悔をする。あー!あれ応募しとけば、とか、買っておけば、とか。
滅多に迷うことないのに、迷ってた。
パンケーキの味どうしようとか、学校行くか行かないか、とか、やるかやらないかとか。迷っての選択って大抵微妙な結果になる。
あ、だからプチ後悔が多いんだ。
考えてばっかで面白いことに気づかなかったり、足の小指ぶつけて出血したり、写真から生気が感じられないって言われたり。
可愛い女の人が電車で明らかに狙ってた席の隣に俺が座ったら、反対側行かれたり。
あ、それは髪型とファッションか。
そしてやらなきゃいけないってわかってたけどなぜか一歩も動けなかったことあった。
新年の挨拶である。
毎年知り合い片っ端から電話やメール、SNSを駆使して 「挨拶メール」を送るのに、今年は台湾に行っててリアルタイムでできず、やんなきゃいけないのに何故か手が止まったり動けなかった。めんどくさいとか、そういう単純なことじゃなくて、なんかわかんないけど。
今日の夜もなんか変だった(1/10) いつも通り、前日ろくに寝てなくて、家帰ってきて爆睡だなって思ったのに4時くらいに目が覚めて、そのあと寝たら変な夢見た。
故郷の島で一人でぼーっとしてた、大して仲良くない中学の同級生が家族でいたりもしたけど、俺とは別の時間にいて、一人でいる感じ。
それで起きたら、手首から肘にかけて、よだれ🤤、クサイ😤
の後に、「新年の挨拶してえ」って心の底から思った。授業ギリギリの時間に起きたからできなかったけど、帰ってすぐおばあに電話した。そっからあらゆる手を使って挨拶した。
めっちゃ気持ちよかった。
このごろ
自分らしくなかったし
しみけんがテストステロンがないから、判断力が無くなるって言うから筋トレしなきゃって思ってたけど、それもあるけど。
ちっちゃい頃から、調子悪いとき、アンラッキーなとき、怪我した時は「神様がなんか言ってる、教えてるよ」っていう教えだったから、きっと今回もそう。
不注意だとか、そういう思考にならないのが、染み付いてるなって発見しておもろい。
足元の怪我ってことは、自分の周りのこと、眼の前のことをしっかりやりなさいよ、そうしないと自分らしいも楽しいもクソも無いぞ~って言うことだと思う。島の夢を見て無性に新年の挨拶したい欲が出たのもそう。まずは礼儀とリスタートのための挨拶だろ、みたいな。
みなさん失礼いたしました、遅れちゃって。来年はきちんとやるね。
これ読んでくれてるみんなは、先祖とか神様とか目に見えないものに対しての感覚があんまりないと思うけど、結構当たり前な感じです。
守られてるとか、導かれるとか、オレは本気で思っているし、自分の行動の指針とか原動力ってそこの部分なのかもしれない。
来年は台湾行く前にちゃんと寄ります。感謝感謝、◯謝。
すってき~
いつも自分の島や家族には感謝しています。
なにがあっても正しい善いこと、ところに導いてくれる。
なんの心配もいらないんです、おれは好きに生きてもなんくるなるんです。ってかみんななんとかなるんです。あいしてるぜえ