「この世界の片隅に」の話
この世界の片隅に
一ヶ月以上前に映画をみて下書きに書き留めていたけど、今日なんだか書きたくなって今書いています。
まだ見たことない人は、日曜だし見ても良いかもね!どうやら完全版もそろそろ上映されそうだし。
もしこれで見てみたい、とか考えてみたいって思ってくれたら嬉しい。
最後は今日考えたこと書いてるからそこだけでもぜひ。
あらすじ?
昭和19年2月、第二次世界大戦の末期って言って良いのかな。主人公のすずさんは18のときお見合いで広島から呉っていう田舎に嫁ぐ。
話はシンプルで、そのすずさんが淡々と日常を過ごしていく様子をいいテンポで描写していく。新しい家庭との関係、食料や物資の不足、あと空襲が日常なんだけど。
すずさんが呉に嫁いで、広島に原爆が落とされるまでが物語のメイン。
単純に言うと戦争ものなんだけど。
すずさん達がどこかで生きてるんじゃないかって未だに思っている。それくらい現実的で鮮烈で、手放しで感想とか言えないものを見たなって感じ。
だからネタバレしない程度の中身の話しと、考えたことを書いてみる。もしその後で見る人が居たら、自分はどう感じるか考えながら見てほしい。俺の影響受けそう!って人はここは飛ばして!
「この世界の片隅に」が、日本のアニメ界どんな影響を与えて、なぜ世界的に売れて、見た人がすずさん達の存在を感じるのか、とかそういうのはこの本に書いてあるのでぜひ!めっちゃおもしろいよ!
戦争?日常?
戦争の悲惨さ~、とか平和の大事さ~みたいな説教臭いことを言われるんじゃないか、って思ってる人もいるかも知れないけど、この作品はそういうことを伝えたいものではきっとない。でもいろんな受け取り方があっていいし、どの作品にも限らず、解っている解ってないなんてダサいことを言うつもりもないんだけどね。
ご飯を炊く、料理を作る、洗濯をする、寝る、仕事に行く、節約する、防空壕にはいる。それがすずさん達の日常で、ある意味での平和。
空襲から逃げるよりもどんくさいから家事でミスったり、義理のお姉さんと関係が悪くなったり、呉に馴染めないほうがすずさんにとっては深刻であるかのようにも見える。
見てる俺達からしたら、大きくて暗いものの裏で一生懸命に目の前を生きているすずさん達が尊い存在に思えて彼女たちの平和がずっと続けばいいのになあ、って思ってジャバザハットみたいな目になるまで泣ける。(戦争ずっとやってろってことじゃないよ)
いつもみたいに空襲警報が鳴ると、「サイレン飽きた」って言ったり。たまたま遭遇してしまった空襲で落ちてくる爆弾がすずさんの目を通すと「絵の具」に見えていたり。(すずさんは絵を描くのが好き)どこか他人事であるかのように感じる演出もあった。まあそれは違かったんだけど。
セリフに注目すると、不発でよかった。治りが早くてよかった。生き残ってよかった。
なにかに対する怒りや憎しみもない、悲しみにも負けない我慢や受け入れようとする力、普通であり続けようとする登場人物の力が、俺達にまるで他人事のように思わせたのかもしれん。
ただ、麻痺して人間としておかしくなってしまったのかもしれないけど。
それであっさりと、戦争は終わる。このあっさりとした雰囲気とは裏腹にすずさん達の表情やセリフがもう怖い。
終わったのか始まったのか、壊れたのか治ったのか、何が正解なのかわからない感覚。きっとあたりも間違いもないけど、見ないとそれすらもわからないかも。
日本の国旗なんて誰も掲げてなくて、代わりに韓国っぽいのがあるシーンもえぐい。知らず知らずのうちににいろんなことを知って、やってる。
終戦後のご飯のシーンで、お米を「あしたも明後日もあるから全部は食べないよ」っていう超絶かわいいすずさんのシーンがあるんだけど、そのとおりで。一ヶ月後も十年後も、ずっと、あるんだよね。俺たちもすずさんも片隅でずっと生きてるんだよね。あれから。
なにかに触れるとき、泣いちゃうと人間の感性は停止するらしい。一回泣いちゃったら、また泣き所を探して、「ここでもないた次もなくぞ」ってなっちゃうかららしい。
俺はセックスエディケーションのち○こまる出しで叫ぶシーンでも泣いちゃうくらい、すぐ泣くから、泣いてしまったら止めるようにしてる!本だったら閉じるし、アニメだったら一時停止するし。それで泣きながら何故泣いたか、どのセリフ、どの演出にぐっと来たのかをブログの下書きに書いてから、リスタートするようにしてる。映画館だとそうは行かないから必死に頭で分析するんだけど。
これは関係ないか。
「のん」えげつねえ
すずさん役の、のんa.k.a能年玲奈さんの演技が抜群すぎ。明るくてどんくさくて素直な女の子のすずさんが乗り移ってる。音楽も絵もセリフも全部すずさんとのんのためにやってます。みたいなシーンがたくさん出てきてもうすごい。あれが天才、まじの。
しかも俺の性癖が薄広い背中であることを「あまちゃん」の中で気づかせてくれたしマジ感謝、愛してる。
あーちすととして活動してるのんさんを応援します。好きです。
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あーはず。でも大事。
先輩がおもしろい本紹介してて、平和についての本なんだけど、こんな事書いてた(あとでアマゾン貼ります)
平和においては、あらゆるものがそれ自体のうちに閉ざされている。夕暮れ時になれば村人たちは家に帰ってくる。種は納屋の中に戻される。折りたたんだリネンはタンスの中に納められる。平和な時期には、何がどこにあるか、いつもわかる。どこに行けば友だちに会えるかも分かっている。夜、どこに行って寝るかも知っている。しかし、こういう基盤が崩れるとき、世界の中に自分の居場所がなくなるとき、どこに行けば自分の愛する者と会えるか分からなくなるとき、海にでた夫が帰ってこないとき、平和は死ぬ。
いや、おもろすぎ。
この本が書かれた頃より、いろんなものが超個人的化している。し、これからもしていく。成功も喜びも価値観も平和も戦争も。
すずさんや俺達のおじいおばあの平和とはだんだん別になっていっているかもしれない。
世界が平和に!は難しいかもしれないけど、すずさんたちのような片隅での小さな平和が集まって世界を作ることはできるのかも。平和に大きいも小さいもないかもしれないけど。
平和ってゲキムズ。戦争してないとき?ご飯が美味しいとき?朝起きるのが嫌じゃないとき?彼女とセックスするとき?おもしろいものみてるとき?なにもない6月23日?
戦争しちゃダメ、忘れたらダメ。そんなの誰でも知ってるよね多分。
いろんなひとが思い描いていた平和はもうないかもしれないし、どうなるかわからないけど。
平和がなにか考えられなくなったときも、平和は死んじゃうのかな。
誰かに伝えなくても伝わらなくてもいちお書いとく。俺の念能力が発動する前にブログあげんと、消すことなるわ自意識で(笑)