ヒモ夫の日常

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【『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』レビュー】追加カット、アップデート版を観た加筆

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バルト9さんさすがでした!

 

EVANGELION 3.0 +1.01 を見てきました

昨日早速アップデートされたシン・エヴァンゲリオンを観賞。思うところがあったので加筆させていただきます。今回で7回目ですが、それ以前の解釈や感想は加筆分以降に綴ってありますのでぜひ。

 

追加カット

今回の目玉である追加カット分のシェアです。Twitterでも検索しましたが、割と情報が錯綜していてよくわかりませんでした。ガチ勢の方を待ちつつ私が発見したところを書きます。

 

アバンタイトル大量追加

 

井関さんが作監を務めるアバンタイトル内に、追加カットがほとんど集中していたように感じます。

 

マリが飛行機型のエヴァを上空から踏み潰すシーンで、下からのアングルが追加されてました。

 

エヴァ44Bが電力チャージをしている様子を前方斜め上の位置で撮影したカットの追加(より立体物として、バッテリー的な役割としての44Bが見れました)

 

敵の銃身をよく見せるカットが追加されていました。

 

不確かですが、覚えているのはこのあたりです。もっと多くあるかも知れません。

 

・第3村パート追加

 

コア化した街を写すオープニングにも、追加された部分があったかと思います。

村パートでも違いがちょこちょこ見受けられました。印象的だったのは、ケンスケがビデオを持って撮影している彼自身のカット。顔まで出ていたのは今回だけだったような。いきなりアスカを撮影するのが少々生々しいとの以降でしょうか。

 

家でしたシンジを追うアスカがワンダースワンを置いて出かけるのも追加されていたかと。薄い本も相まって、アスカがどれほどシンジを気にかけているか、どれだけ大事な存在であるかが追記されています。

 

・ラストシーン間際追加

 

村以降のシーンは単純に面白かったのでカット探しができませんでした。近々観てまたかければと。

 

ラスト、海(第三村付近?)に種子ユニット(船員が乗っているもの)が落ちており、大地に足跡が複数存在していますが、その最後にプラグスーツの足跡カットがありました。正直、アプデ以前にあったかわかりませんが、そこは気になりました。

 

アスカのエントリープラグは村に届いていたため彼女が新劇アニメのエヴァの世界で生きていくことを決めたのはわかりますが、あの足跡は何なんでしょうか。

 

考えられるのはアスカの存在を示唆する増強素材。またはレイも同じ世界で生きることを決めたということかも知れません。

シンジとゴルゴダオブジェクトで話すシーンでは、最後制服で髪の短い綾波になってました。それは村でコスプレさせてもらった綾波だと過程でできてもうひとりの自分として生きていくことを示唆しているとすれば、村に戻る際には現実世界で消える前に直近で着ていた服になるはずなので、そのプラグスーツの足跡なのかなと解釈できますね。

 

薄い本について

なぜ薄い本なんて軟派な言い方を……なんて思っていましたがキャラデザなどを手掛けた松原さんによる描き下ろし漫画。アニメーターや技術の方々によるイラスト寄稿と、まさに薄い本でしたね。

 

個人的には、ショートヘアのミサトとリツコが農園をし、後ろにはカヲルと加持リョウジらしき人が描かれたイラストと、私の大好きな改二号機と8号機がNERVに突っ込むシーンを描いたものが大好きです。もちろん全て宝ですが。

 

今回の観賞でも思いましたが、カヲルはやっぱりゲンドウのもう1つのイメージだと私は解釈したいです。

 

Qの前日譚漫画ですが、初号機奪還作戦の2時間前という設定でしたね。まさに二次創作でした。マリが制服であったり、アスカが以前のプラグスーツを着ていたりすることは、制作段階では、NERVからの独立直後で装備がままならないという意図だと思うのですが。その部分を妄想することができる、しかも公式が描いてるわけですから、なんなら二次創作というよりもこっちのほうがロマンチックだから修正します! と言っているようなものですよね(笑)

アスカの心情が深堀りされて嬉しいところではありますが、前日譚まで描かせないとどうしてもアスカが裏切り者のように捉えてしまう方もいるのは、製作者に申し訳ない気持ちもしますね。

 

7回見て新たな気づき

7回目の鑑賞と薄い本や追加分を受けて解釈できた、解釈が変更した部分を書いておきます。

 

アスカとケンケンの関係

 

アスカが言う通りシンジに必要なのは母親であり他人の存在であったし、アスカにも必要なのは、心地よい距離感で受け入れてくれる人や場所が必要だったのでこの形がやはり1番いいと思います。

メタ的な解釈がまじりますがシンジは庵野秀明の色をより濃く受け継いでいるため、別の要素が必要でした(完結のためにも)。

 

アスカは認めて欲しいという気持ちがあり、それはNERVに造られた人格や思考ではない部分が自分にあることを実感したいという気持ちでもあると思います。だからシンジのことは大切であるけれども、それが本心であるかわからない。シンジへの気持ちが強くなるほどに、自我が揺れるわけです。だからケンケンという居場所で安静に過ごすことが重要であるし、きっと彼女も求めていたと思います。

 

ケンケンは、中学の時はトウジと委員長が付き合うなんて考えられなかったよな~と発言していて、あんなツンデレは誰でも見破れるのでそもそもが恋愛にかなり興味がないと思われます。

 

というか身体的年齢は置いといて、28歳の男女なんだからほっておいてあげましょうよ。脅迫の騒動もありましたし、声優の宮村優子さんがインタビューなどでアスカの思いを不粋にならない限界まで言及するのが私は苦しいです。映画や演技の中にたくさん思いを込めている、それをグダグダ説明させるのは大変失礼な行為だと思いませんか?

 

どうしてもケンケンが憎いなら、無理矢理にでもクリーンな関係だと解釈すべきです。製作者や演者にまで観客のエゴをぶつけすぎては元も子もないと思います。

 

父さんの神殺し

ユイが地球外生命体であることが明かされて(アダムスの一員または使徒??)、おまけの夜さんのアダムス解釈(下記にURLあり)も相まって、すべてはユイの計画の通りになったことは理解していました。

 

元は地球に順応して暮らすはずだったユイたちは地球の破滅(使徒との争い)を知り今回のフォースを止める形でシナリオを組んだと私は解釈しています。

 

ですが、ずっと神殺しの意味がわかりませんでした。シンジの「父さんは、見送りたかったんだね。これが父さんの神殺し」がピンと来てなかったんですが、今回みるとわかりましたね。

 

ユイは地球外生命体で、封印柱や槍などの知識を授けたと思われるので単純に、人間や使徒を凌ぐ力を持った「神」である、と解釈できます。そのユイがシンジや人類のためにエヴァというものに縛られている(初号機に入っている)。そんな彼女を開放し、自らの手で存在を消すこと、それが神殺しであり、見送るということであり、「ユイに会う」ということだ、と私は解釈します。またユイはゲンドウにとっては突如自分の人生に現れた「女神」のようでもありますしね。

 

マリはそんなユイの力で、あの姿のまま存在でき、ユイの愛する息子を守る任務を果たしたのかなと思います。

 

ゲンドウ=カヲル

これについては、物語的な整合性もメタ的な理論も見当が付きませんが成り立つことなのだと思います。セリフや薄い本でのイラストも相まって少なくとも制作サイドにはそういった意図があって、きちんと説明できる筋があるのだと思います。

ゲンドウもとっても素敵です。願いがかなってよかったよ。

 

ラスト、シンジはどこにいる?

これに関しては、実写つまりこの三次元の世界に存在している、と最終的に解釈しようと思いました。時間を戻ったりやり直したりしないで、エヴァが必要ない世界に書換えるだけ。

というのはあくまでも彼の気持ちなので、書換えるというのは世界ではなく自分自身の存在をアニメのエヴァから消し去って、現実世界に存在を描いてしまおう!的なことなのかな。別世界とも言えますが、シンジとマリが私達と同じ世界にいるって考えたほうが嬉しいのでそう解釈させていただきます。

 

なのでその他の登場人物たちはスクリーンの中で生き続け、シンジとマリは意思を持ってこっちの世界に飛び出してきた、と。反対側のホームにいる、カヲルやレイ、アスカはもちろん「そっくりさん」です。世界にはそっくりな人が3人はいるってよく言うでしょう。

 

こんなところですかね。また複数回見て気づいたことがアレばまた加筆します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やっと待ちわびた日が来ましたね。

 

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』公開です。

 

私も朝イチとはいけませんでしたが、劇場違いで午前のIMAX上映と、午後の通常上映のチケットを購入し2回鑑賞しました。

 

率直に言うと

 

最高に良かったです。

 

あースッキリした。何をツイッターでつぶやいてもネタバレですからね。ここにかけてよかった。オールタイムナンバーワンの映画です。今のところですが

 

今回は、

  • 中身(ストーリーや設定)
  • 外(演出、撮影など)
  • 奥(シン・エヴァから感じたこと)

という構成で書いていきます。

 

ちなみにパンフレットはまだ読んでません。

どうしても自分の言葉や感じたことを先に書きたかったので。もし面白い情報がアレばどんどん追記しようと思います。あと複数回は見に行く予定なのでその都度で!

 

 

中身について ~高難度パズルを作ったカラー~

今回のシン・エヴァの構成を組む際は、きっとパズルのようにして作ったはずです。

 

TVシリーズからは25年が経過し、新劇の初めの構想は2006年くらいなのでだいぶ時間が立っています。

 

なので今回は

いかに矛盾を出さずに、やりたいことをやっていくか

の戦いだったと思います。

かなり骨が折れる作業だったかと。本当に庵野監督達の血のにじむようなモノを感じましたね。

 

 

そしてやはり、冒頭12分は観ていてよかった。私は一昨年、日比谷で0706作戦時に鑑賞しましたが、昨日も気合い入れてみてよかった。

 

あのアヴァンが終わった後の、裏切りの展開に心拍数が上がるのを感じました。

 

庵野テメーやったな!!!!!」

 

そこからはニヤケが止まりませんでした。引っかかることがあればすぐに綾波が聞いてくれるし、トウジとケンケンはなんでも優しく答えてくれる(笑)

 

”邦画おなじみ”の「戦後のたくましい昭和の世界」と、「説明不足」に対する怒涛の回答をこれでもかと叩きつけられました。

 

腹が捩れるかと思いました。(実際はそんなに笑っていない)

こういうことをやれるくらい庵野監督達元気になったんだな!

 

と思い涙が出ましたね。(実際に出た)

 

【加筆】つまんない(映画業界で)とされていた◯丁目の夕日感を煽りと僕は判断しましたが、庵野氏の原風景であったり、生活の営みの(そういうのが下手だ)表現への挑戦。そしてエヴァではどうしても「日常」が足りていなくて”壮大な虚構”を観ている感覚が大きかった。それで名作を作れてしまう庵野氏がすごすぎるのですが。そういった今まで足りなかったピースとしての第三村のパートだったのかと思います。

 

ストーリの骨組みとしては

序盤

シンジの立ち直りをできるだけ丁寧に描くための、「昭和パート」

 

わかりやすくとっつきやすいのに、強烈に性格が悪い映像でした。

ここも訂正ですね。

 

情報の共有と忍ばせるバランスが非常に良くて、しらけることもなく、彼らの居場所をリアルに実感できました。

 

と同時に不気味さと不穏さ、秘密が散りばめられていて良かったです。

 

 

中盤

準備パート

 

これまでに何があったのか、これまたバランスよく明かしていき、人間関係や情報を整理整頓。

そしてヴィレとネルフの戦いの準備も進められていきます。

 

ニアサードインパクトサードインパクトが別であったこと。

ヴンダーの本来の使用方法及び、ヴィレの組織の説明。

乗組員たちの複雑な思い。

 

テンポよく次々とパズルのピースを埋めていく感じでした。

 

そしてQは優しさだったんだなと痛感。

 

何も言わなくても楽しませるから信頼してくれ!との願いを無下にしてしまった私達観客に

 

「じゃあ全部言うし、全部描くから処理しろよ?お前らが言ったんだからな?」

 

という空気が流れ始めます。そしてそこから怒涛の後半へ

 

何回も見たり、その他のレビューや解釈を参照するとだいぶわかりやすくなりました。本当によくできていると思います。

 

終盤

すべてに決着。

ヴィレ ゼーレ ネルフ マリ シンジ クルー 庵野監督達皆の「希望」の終着駅へと向かいます。

 

過去一番の迫力の戦闘シーンから、シンジとゲンドウの精神世界を使った遊びまで

 

すべてが詰め込まれている。

 

こんなエヴァ観たことねえぞ!!!!と叫んでいました。

 

大体のフレームはこのような感じでしょうか。ラストシーンなどその他諸々は次の章で考察致します。

 

答え合わせ

今回で、エヴァは出すもの出したので、ついに設定の考察に終止符が打たれるはずです。

 

ここでは『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』で明かされた情報とそれから読み取れることを簡単にまとめてみます。

 

新劇の世界は、旧劇場版の続きの世界である(ゲンドウの「お前が選ばなかった~」のセリフから)

すべては死海文書通りに進行してしまうため、結局シンジが旧劇で選んだ世界もこうなってしまった?

ゲンドウは、魂を補完し合うだけでは「希望」が叶えられないと判断し、細工(封印柱で人間にとどめた式波タイプを作成、惣流所在不明、渚カヲルを13番めに落とすなど)。体も心も進化できるシナリオを用意。

裏では第一使徒であり永遠の生命体、渚カヲル加持リョウジを使いシンジを幸せにするために策を用意。Qで失敗してからは加持リョウジがメインに執行?

それをも把握したゲンドウはニアサード、サードを起こす(ニアはカヲル、サードは加持が阻止)

そしてフォースを起こす。目的は死海文書の指示通りに生きる+ユイと会うため。

しかし裏宇宙の変な場所にはユイは現れず。そのままヴィレ産の槍で阻止。

 

シンジを抱きしめた時に、自身の「希望」が間違っていたことそして、叶うことを知りゲンドウ自身のストーリーを選択し、分岐。

シンジは加持のように身を挺して、世界の書き換え(ゲンドウのように、登場人物たちがそれぞれの居場所に分岐できるように)を行おうとする。

アスカはケンスケが居るシン・エヴァの世界を選択。魂は惣流?なため、あの浜辺でお別れ。

カヲルもシンジを自分の「希望」に見立てていたことに気づき分岐。(ミサトと農業するとかいいつつ綾波とデートしていたが、あれはシンジのストーリーなため別。)

 

レイは元からユイのコピーなため虚構の世界を選択。

 

シンジは自分のストーリーが用意されていないことを悟りつつ、マリの世界や関わりはないがどこかで誰かの世界に存在することで満足しようとする。

 

がユイが初号機内から現れ、シンジの代わりとなる。その後ろにはゲンドウ。夫婦で世界の書き換えを行う。

 

ユイは死海文書を知っていたはずなので、初号機にダイレクトエントリーしたのは故意。(シンジの「全部わかったよ・・・」から)初号機から出ようとしなかったのも、シンジが犠牲になるこの未来を知っていたから?冬月コウゾウの「これで良いんだな?ユイ君」から、ゲンドウを除く冬月・マリは聞かされていたのではないか。

マリがシンジを大事にするのは、ユイの遺言によるものではないか。そこでマリは何らかの方法で(アスカが言っていた「エンジェルブラッド?」)で人間とエヴァの間(シンジと同様)の存在となり、息子だけは幸せにしろ、ゲンドウは勝手に会えるからとの遺言を遂行したのではないか。それを理解したからゲンドウは電車を降りた。

 

ミサトとユイふたりの母親に守られたシンジは、「マリがいるストーリー」を選択。

マリは裏宇宙内で他人のストーリーと同期できるように、アダムスの器(神の器?)を捕食しオーバーラップができる8号機を作成。シンジが選択したストーリーにたどり着いたマリが手を触れた瞬間に、ふたりの世界が始まる。

 

ってな感じでしょうか。あくまで個人的な解釈ですが、これでとりあえず納得しておきます。

 

今考えると全然違ったストーリー理解になっていますが、『シン・エヴァ』がすべての答えです。語られなかったことは一生わからない。これは考察のしがいが無いし、個人の様々な解釈があっていい。そしてそれが望みでしょうし、この際ストーリーや設定は特に気にしなくていい作品になっています。面白い動画はいくつか散見しますので気になる方はこちら↓↓↓↓↓↓


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外について ~ここからが楽しい!~

本当にすごいシーンや、こだわりの連続でどこをとっても狂おしいほど好きでした。

 

冒頭のマリの戦闘シーン、船を使ったヤマト作戦などアクションもさることながら

 

飯も食わずにゴロゴロしてるシンジに馬乗りになるアスカのシーンのカメラワークだったり

4Dでもかなりの迫力。シンジ視点のイタイところを突かれる感覚と、アスカの葛藤をよく表している凄いところです。

 

ゲンドウとシンジのアニメで特撮を初めるシーンだったり

物語上でも、庵野監督の中でも重要な「儀式」となっていたシーン。ゲンドウが新たな世界を作るために行った儀式であり、庵野氏が「エヴァ」を終わらせるにあたり悔いをなくすため、そして敬愛する特撮への誠意のための儀式だったわけです。

 

日向が誘導弾を発射する際に、ボタンを押す指が反転した左手の親指だったり

 音楽もそうですが、『惑星大戦争』でのミサイル発射ボタンの押し方をオマージュしたようです。鷺巣詩郎さんがエディットした「激突!轟天対大魔艦」も素晴らしいです。庵野氏も思わず涙したそう(ライナーノーツより)

ヴンダーから発射される、生命の種子がたんぽぽの綿毛の形をしていたり

 

SFもしながら、庵野監督やカラーでしかできないようなとんでもないことをしていました。

あんなに激しく機体が動くのマジですごいですからね。やっぱり天才の集まりだよ。とにかく動きがすごかった。CG作画のクオリティがとにかく訳がわからなかったです。

 

アスカとマリが、無重力エヴァに乗ろうとするところとか、シームレスに作画の変更が行われていてあんなの初めてみましたよ。

 

そして一番やべえのが、

終盤 シン2号機と改8号機が、ネルフ本部にある13号機を破壊しに行くシークエンス。

 

あそこ神です。あんなロボットアニメ観たことないです。あれがほんとの空中?戦闘ですよ。一方方向に進んでいる時に戦わせることによって、スピード感とリアリティが増します。

足場のない中で、ジェットパック的なもので浮いて戦う戦闘はやはりリアリティにかけますからね。あの勢いがホンモノです。

新二号機の背中から、ミサイルみたいなエネルギー弾が螺旋状に放出されてるシーンはすごかった。あのシーンを超える、射撃シーンがあったら教えて下さい。

背中に背負っていたでかいミサイルが螺旋状に着弾し、エヴァ7シリーズの爆発の中を進んでいくシーンです。あそこは六回見ても飽きない。まだまだ観たい。

 

回転や螺旋が多く使われたので、『グレンラガン』も連想してしまいましたね。

 

とにかくすごいシーンの連続。女の子たちの質感も超良かったです。

ヴンダー船員の、ミドリとサクラの葛藤もかなりいい演出でした。

特にサクラ。自分なんてシンジの行動の結果で、怪我もさせられているし、家族も失っている。なのに兄の親友であること、兄ゆずりの人情深さ、そして高い共感力を持ち合わせて、見事に葛藤しまくってました。

 

庶民側のことを意図した演出で、サクラだけに背負わせ過ぎかとも思いましたが、あの流れで見てしまうと辛くてしょうがない。あれはいいシーンです。

庵野氏は「世代間の感情の差」をどうしても描きたかったのでは無いでしょうか。セカンドインパクトを”知っている”世代と、ニアサードインパクトがダイレクトに人格形成に影響を及ぼした世代みたいな感覚です。この間、東日本大震災時に子供だった方たちが10年経ってどう生きているのか、というドキュメンタリーが放送されていましたが、まさにサクラやミドリのような背負い方をしていて、大災害の爪痕の大きさを実感しましたね。奇しくもそれが描かれているんじゃないかと。

 

奥について  ~3人の庵野監督と出会う~

エヴァンゲリオン自体、庵野監督自身が全面に溢れでた作品です。

 

先日上田慎一郎監督もEOEを視聴し、「日記やん」と言っていました。

 

それほど滲み出る庵野なんですが、今回は3人の庵野監督が映画に登場していました。

それは

  • シンジ
  • ゲンドウ
  • カヲル

です。この3キャラクターがそれぞれ、庵野監督と呼応していたように感じます。

 

シンジは、「エヴァを作る庵野秀明

何もわからない、できない、怖い。でも誰かのためにという「希望」を持ってエヴァに乗ってきたシンジ。今作では、自分としっかり向き合って「落とし前をつける」と発言。

 

またしても身を挺してみなを救おうとします。友人や仲間、父親のことを理解しようとし、決着をつけに行く。そして新しい道へと進んでいくシンジ。

これはまさに、エヴァンゲリオンの監督として、作品を作ってきた庵野秀明監督そのものだと思います。よく苦しい状況を乗り越えて、最後のエヴァを作ってくれた、と思うと涙が出ます。

宇部新川駅の階段を駆け上がり、マリの手を引いて走るシンジを見てもまた涙。すべてを吐き出して、新しく生まれ変わった庵野監督を見るのが一生の楽しみです。

何かを作るたびに壊れてきた庵野氏を象徴するキャラクターになったのが碇シンジでした。過去のインタビューなどを観る限りでも、作品と監督が強く結びついているのがよくわかります。ユイという存在がシンジにとっての母親であり、庵野監督にとっての「答え」だとすると、やはりエヴァを作っていた自分の中に、見つけるべきものがあったのではないかと思います。

 

ゲンドウは、「人間としての庵野秀明

ずっと苦しさや、寂しさを抱えていたゲンドウ。ユイを失う辛いこともあった。シンジから離れることが良いことだと、罪を償うことを考えていた。でも違った。

シンジの中にユイ(希望)があった。子供なんだから遺伝子的にもそうですよ。最初から、シンジと向き合うべきだったんですよね。

 

庵野さんも若くして天才と崇められ、『アオイホノオ』なんかでもめちゃくちゃ変なやつに描かれてます。うつ状態になってくるしかった時期もあったと思いますが、やっぱりシンジ、エヴァを作る自分の中に何か答えのようなものがあったのだと思います。

 初めて語られたゲンドウの内面から、様々なことを慮る事ができます。鷺巣詩郎さんもなんでこんなピアノ曲ばかり作るのだろうという疑問が解けたと書いてありました。これはゲンドウの独白であり、庵野監督の独白でもある。フェイクと真実を交えながら少しだけ素直に語っています。シンジ=エヴァを作る自分、を遠ざけてしまうこと(実写を作ったり、アニメ見本市をしたり)することを乗り越えて、やはり自分の希望をその中に見る。シンジとして、エヴァ作る監督としてエヴァを終わらせることに努めたと思います。

カヲルは、「クリエイターとしての庵野秀明

シンジを助けなければ行けない。どうにか幸せにしないといけない。でもカヲルはそれが結局はシンジのためではなく自分自身が幸せになるために行ってきたことだと理解します。そこでカヲルも許されて楽になる。

自分を客観的に見つめて、ものを作る人としてエヴァを作る自分をどうにか楽にしなければいけない。カヲル許すことで自分自身もエヴァから開放されるんじゃないでしょうか。

 しばしばカヲルは碇ゲンドウのもう1つの人格であるという論も散見します。私も概ね賛成です。表裏一体の存在でした。どこかで庵野監督は、「エヴァを終わらせなきゃいけない」とずっと思っていたはず。そうでないとリビルドを超えた『シン・エヴァ』にたどり着くことはなかったと思います。その焦りがさらに自分を苦しめた。シンジと向き合い、逆にそこに自分の本質を見出すことによって、煉獄から抜け出し、身軽になったカヲルであり、庵野監督だと思います。

寂しいが消える

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の公開日が決まって、正直寂しさが大きかったです。エヴァが終わるんだなあってただ自分が消費する身としてしか考えていなかった。

 

上の奥考察はあくまで私の感じ方なのですが、あの3人と庵野さんが重なって見えて、もう幸せでしかなかったです。

庵野監督達ががとても楽しそうにそれを教えてくれているように感じて、自由になった庵野監督を心から祝福したい気持ちで一杯になりました。

 

だから全然寂しくなかったです。

清々しかった。誇らしかった。

走っていくシンジ君が意思表示に見えたからです。これからも一生庵野さんのファンで居続けます。

 

私はエヴァが大好き。ということは庵野監督が大好きですから。

本当にありがとう。関係者の皆様方。

さよなら!すべてのエヴァンゲリヲン!!!!!!!

この後、若い自分は碇シンジにシンクロすることができない。という古典を楽しむときに必ず現れる壁とも対峙しました。その様子はこちら↓↓↓↓↓

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