ヒモ夫の日常

駄文、愚文

IMAXで『GHOST IN THE SHELL』を見て思った素子とのギャップ

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アイマックス4kリマスター版のゴーストインザシェルを見ました。

 

押井守参拝者はおじさんおばさんばかりかと思われましたが、若い方もたくさんおられました。

 

ネットが世界を覆い尽くした近未来。義体化した特殊部隊的な少佐的な主人公・草薙素子がある犯罪者を捜索する話です。

大天才士郎正宗さんが描いたSF漫画を大天才・押井守氏が大天才らしくアニメ化したものです。

 

大きなスクリーンと音が良かったです。古めかしい電子音や登場する重火器のカチャカチャ音が至高でした。

 

 

 

見るのは3度目ですが、割と印象が変わりましたね。初見時は、SFに慣れていなかったことや押井守作品を初めて見る次第でしたのでそのおしゃれさや渋さに圧倒され「かっこいい」の一言でした。

 

今回は「素子しゃらくせえな!」の一言でした。

 

劇中で、彼女が執着している事柄と現代で生活する私の問題とで、「ギャップ」があったからかと思われます。

 

彼女は、自身のが機械の体であることと、自分の行動や言葉がすべてネットで保存され永遠に漂い続けることなどから、「自分自身の存在」に疑問を抱きます。

 

肉体は無く、脳みそも自分で見ることは敵わず、自分の思想や言葉は実態がなくとも数列によって保存され残り続ける。今のこの体や気持ちは本物なのか、もしかして自分は既に死んでいて、残された情報から草薙素子として組み上げられたデータでしか無いのでは?

 

といった様子です。それに「めんどくさ~」と思ってしまいました。生身で生きている

という最大の違いはあれど彼女の自分というものの定義への不安に同意しかねるのです。

 

公開当初この作品を見た人は、素子の発想にはっとしたのではないでしょうか。

インターネット黎明期、PCや携帯電話などにより自分の肉体と言葉や思想が切り離されていく感覚を抱きはじめている頃ではないでしょうかね。脳みそと体と思想が自分を自分たらしめるのに同じようなパワーを持つ感覚というか。それが素子の言い分がすっと入ってくる要因になったのではないかと妄想しています。

 

これに対し私が「めんどいな」と思った理由は主に2つです。

 

1つ目、私は「自分というものの範囲の広さ」に慣れているからです。なにせ生まれた時からケータイだのWindowsだのがあったので、知らず識らずのうちに「自分」というものを「肉体」に紐付けすぎることが無いからだと思います。

 

ゲームのアバタースマートフォンに映る小さなアイコンでさえ、自分だと認知して疑うことをしてこなかったからです。それが当たり前だから、体も心も、言葉もアイコンも、他人の中にいる自分の印象なども含め大きな範囲として自分だと解釈してもあまり違和感のない人間なのです。

 

だから素子がもし自分がただのデータだとしたら?と言われた際、虚しい気持ちもあるけど、しゃあないそれも自分ってことで……みたいな感覚に陥るのではないかなと。

 

そして素子は、他人と比較して把握した違いを自分の個性として納得して、自分を認知しているに過ぎないとも言ってました。周りの人が素子っていうから私は素子なんだろうな、みたいな。

 

私は今まで過剰に人と比較して生活してきました。嫌でも無意識のうちに他人と自分を比較せざるを得ない。現実世界でもインターネットの世界でも様々な個人の情報が垂れ流しになっているからだと思います。

 

あいつは勉強ができる、オレはできない。に加えて、あいつは今こんなテレビを見ているらしい、本を読んでいるらしい、オレは読んでない。ということがわかるようになったからです。これまたSNSの影響です。どこでも他人と繋がるということは、いつでも相対的に自分を見ているということです。

だから私には圧倒的な自分という存在があります。あいつより劣っている自分、あいつより優れている自分というものさしがあることで、自分という存在自体を疑うことが難しい状況になっていると思われます。

 

2つ目、というか1の延長線上かもしれないですが、そのような人間である私が執着しているものは「自分の存在の定義」ではなくて「自分という存在の空虚さ」だからだと思います。

 

自分っていうものがたしかに存在している確信はあるけども、その自分の中に一体何があるのかわからないということです。「好きなものが無い」「将来の目標がない」と言った若者の悩みがこれに当てはまるのではないでしょうか。

 

過剰な他者との比較によってかろうじて自分自身の形は見えているけども、自分の中に何も無いような気がしてならない、せっかく生きていて自分があるのだから何か使命があるに違いない、みたいなことを考え出すのです。

 

要因は似たようなものだけれども、悩む位置が素子とは違う気がしています。だからこいつ色々言ってるけど多分オレが悩むようなこととはちょっと違うな素子と思ってしまうのだと思いました。

 

書いてみるともしかしたら本質は同じなのかもしれない、とかやっぱり自分ってなんだっけ?みたいなことも思い浮かんできました。ともかく原作買って読破できていないのでそれから考えても良いのかなと思います!今回のオレ解釈はなんだか堂々巡りのようですが、自分が思ったことをメモしてまた後でいつか確認したいと思います。