ヒモ夫の日常

駄文、愚文

首里城のニュースについて

今回の首里城のことについて思ったことを短くまとめておきます。

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朝一発で目覚めるほどのショッキングな事件、いやニュースかな。

現場で動画を撮影していた友達のSNSでみて、日の出でも見に行ったのかななんて思ってたら、全く別物でした。

かなりびっくりした、というのが正直な感想だった。

SNSにて

俺は沖縄県民だから、SNS等での知り合いは沖縄の人が多く、いわゆるタイムライン的なiPhoneの画面には、たくさんの県民の声が時系列順に並んでおり、県民たちの感情の流れもわかりました。

それを追うごとにことの重大さを理解していきましたね。

ですが、みんなのようなエピソードが俺にはない。首里城に行ったのも記憶にあるのは一度のみで、画面に表示されている心が痛くなるような思い出が俺にはなくて、「お前それでも沖縄県民かよ」って言われているような気持ちになった。

自分が何を発信しても薄っぺらで、意味のないことを言っているんじゃないかって感じちゃって大学の友達に、なくなっちゃったねって言われてもなんて言えばいいかわからなくなって、今日はずっとモヤモヤしてた。友達に意見をいっぱい聞いたりもした。

もちろん、どうでもいいとか悲しくないって言いたいわけじゃなくて、正直になんてみんなに話せば良いのかわからなかったという話なんだけどね。

順番の違い

それでどう発信したほうが良いのかって魔法のノート使って考えたんだけど。

「発信する順番を考える」

っていう結論になった。どういうことかというと、

個人的な感情や悲しみを言う前に、この件で何が問題で、この先何が起こりそうなのかそれを自分なりに調べて考えて客観的な話をして、それプラスで沖縄県民が感じられることを言った方がいいのかなって。

もちろん声を上げていくのは大事なことなんだけど、もっと多くの人間に伝えるにはこれが良いのかなと思う。

訴えるべきは、沖縄の外の人でしょう。

世の中人がいっぱいいる。社会を生きてきて喪失感を感じる大人や、身近な存在として首里城があった若い人、俺みたいに重大さは理解できても結びつきを強く感じられない人もいるし。

悲しいけどきっと多くはあまり関心のない人のほうで。

そしたらまずは共感が難しい、悲しさや嘆きを伝える前に、どんな問題なのか。そこを明白にしたほうが良い。

問題点

ちょっと脱線するけど。かんたんにだけど3つ問題があると思っていて。

1.時間とお金の問題

戦後から少しづつ直して60年くらいかかってやっと復旧した。

万国津梁機構 » 壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像 その449

ここにも書いてるけど当時で108億円もかかってる。ただでさえ色んな所にお金が足らないのに。とてもおっきな時間とお金の問題がある

2.歴史的損害

これは言わなくてもわかるね。今までの積み重ねが無くなっている。大大大損害だよ。

3.人々の不安、気持ち

これも大きいこと。全員とは言い切れないけど、多くの人がシンボルとして誇っていたものが無くなってしまった。

令和になってからあまりいいことが無いのに、次は沖縄にもすごいことがおきましたね。住む人達が「不安定」になってしまうとさらに大きな問題がおきかねないよね。

デモだったり、犯罪だったり、社会や政治の状況にもおっきな影響を与えるのがそこに住んでる人たちだから。中学や高校の社会の勉強でもやったように。

 

もちろんこんなかんたんなことだけじゃなくて、問題は山積みになっているはず。だから

まずは何が起こってしまったのか、どういう問題をはらんでるか客観的に伝え、そしていかに自分にとって誇らしく思い入れのある場所であったかっていう順番で伝えたほうが、アイデンティティをあまり感じない人にもより効果的に届くのかなーと。

正しい情報ってのは基盤として

それでできることをやる。復旧の目処をちゃんと立てる。しっかり本当のことを報道する。募金をする、とかね。

ほんとうに、その物事のためになること、ためになる言動って難しいんだなって思った。

あと死傷者が出なくて本当に良かったです。

あとは、なんでこうなったのか本当のことを教えてほしいな。