【レビュー・感想】劇場で見たことが自慢になる映画『JUNK HEAD』
【レビュー・感想】劇場で見たことが自慢になる映画『JUNK HEAD』
出会いはアトロクでした。
話題のぷいぷいモルカーの見里監督が、宇多丸さんのラジオに出演。
ストップモーションアニメ界のレジェントと何やらよくわからないおじさんと共に、ストップモーションアニメについて語る、という内容。
モルカーは僕ももちろん見ましたし、毛虫とかきのこのストップモーションアニメは学校をずる休みした午後に見ておりました。
久しぶりに触れたことのない界隈(ストップモーションアニメ)に関するお話が聞けて、たまにはアトロクも聞いてやろうと思いました。するとよくわからないおじさんが出てきます。
そのおじさんは”堀”というおじさんでした。
話を聞くと、一人で長編ストップモーションアニメを撮った、映像制作未経験、人形は職業を活かして全部手作り、10年近くかかった、しかも超面白いらしい、宇多丸もレジェンドも唸ったらしい、どうやらリアルSFモノらしい、人類オワコン時代らしい、でもパペットの可愛らしさもあるらしい、
これ見るしか無くねーーーーー???
ということで、狂気のストップモーション長編アニメ映画、『JUNKHEAD』を観に行きました。金曜日の宇多丸氏のラジオでは
「きっと、当時リアルタイムで劇場で見たことを一生誇ることができる作品」
と評されていました。
正直なところ私は未熟なので、そこまでの驚きは感じることができませんでした。
悔しい。
自分より数段うまいゲーム友達がいるのですが、彼はある格闘ゲームをやらなくなってしまったようです。
段位が上がれば上がるほど、格上のプレイヤーの”作業”が読み取れる。そこまでの時間や努力を費やしても、プロになるのは一握り。そこで意欲が削がれてしまう、と言っていました。
宇多丸さん達のようなベテランは、すごくタフです。そのコンテンツから身を引きかねないギリギリに立ち映画を見ていると思うんですよね。
私とは語彙、映画から読み取れることの多さ、見てきた作品、どれも歴然の差があります。だからことの重大さに気づくことができない。
十分に作品を楽しんでいるとは思えない気もしてしまいます。
風俗嬢の現状のサービスに満足している時に、実は裏オプションでもっと凄いことがあったのに気づいたような、損をしている感じ。
まだまだ楽しみきれないなあ、と感じてしまう瞬間でもあります。
そこまで、気にすることでも無いので、今日ものほほんとモンスターハンターライズをしているところです!
狩りも映画も自分流の楽しみ方をさがせ!!!
『JUNK HEAD』
めちゃくちゃ長生きになった代わりに、子孫を残すことができなくなった人類。
人類が生み出した生殖活動が行える人工生命体「マリガン」。
世界は謎のウイルスにより大混乱。
人類の半分くらいが死んでしまう。
マリガンと人間は馬が合わず、地上と地底で棲み分けが行われ、マリガンは独自の進化を遂げていく。
自らが生み出した生命体から、「生殖のコツ」を得るために調査する人類。
主人公は地底探求の高額アルバイトに乗り出す!!!
というような感じ。
久しぶりにあらすじを自分で書きました。
本当は
「気が狂った人形アニメ」
というただ一つの情報だけを握って劇場に向かってほしいです。
ハードなSF世界ながらも、学校を休んだ小学生男児が見てもくすっと笑ってしまうようなギャグもあり、カルト的な映画だと思っていたのですが、王道な熱い展開もある。
たくさんの映像作品や、監督の気持ちが散りばめられており、あのパペットの実写世界がそれを引き立たせておりました。
良い忘れていましたが、とんでもなく気持ち悪いシーンも多々有りました。
良い意味です。
20代男性でも目を背けたくなるようなシーンも。
しかもそれが、週刊少年漫画雑誌のデスゲーム(笑)漫画のようなグロテスクさではないのが素晴らしかったです。
気味の悪い気持ちの悪さ。体験したことの無いキモさでした。
ストップモーションの長編映画が初めてなこともありましたが、率直に言って良かったです。
シネマ・ロサ(映画館)の雰囲気も良かったです。
喜んではいけませんが、割と客数も少なく、感情のゆらぎを抑制すること無く観ることができました。
カッコつけて書きましたが、フツウに書くと声を出して笑うことができて、なんだか良かったということです。
劇中で気持ちを変化させる映画
見始めて数秒で、これは面白い映画だとわかりました。
宮崎駿さんも、風の帰る場所で「正座してみるべき映画はすぐわかる」とおっしゃっていましたね。真似するわけではなく、みんなもよくあるでしょ。これ絶対面白い!!ってやつ。
そこから不気味な世界観と、パペットながらの字幕ゼリフ、音声は『ジャンクヘッド』語を話します。背景や建物、メカも超絶いいです。
僕の好きなのはなんと言っても「縦電車」。
『ジャンクヘッド』の世界は、物理的、モチーフ的に「縦」の繋がりがあって、通路や階層をつなぐ役割を担うのが、移動手段としての「縦電車」でしたね。
貨物用のエレベーターのでかい版を想像すればだいたいOK。
細かなデザインや、操縦、乗り込む主人公の動きなど、ストップモーションとは思えないような動きの細かさに震えました。
ストップモーションとは思えない・・・?
そうなんですよ。途中からストップモーションであるということが、作品から乖離していく感覚があります。
直感的に見て、実写やアニメ映像を見ているような感覚を覚えるのももちろん、設定や世界観もそれを後押し。
そこで自分にフィルターが掛かっていることに気づきます。ストップモーションにしては、楽しみ!とかエグい!人形なのに!
とか、映画じゃなくてストップモーションアニメ映画として見ているということに気づく。
で、普段当たり前に、何らかのフィルターが掛かった状態で映画を見ていることも実感。これに関しては、より楽しめるフィルターを持参すれば良いので解決済みですが。
その楽しみ方が途中からどんどんわからなくなってくるんですよ。
肩の力を抜いて観るべきなのか、でも心の中の宮さんが「正座しなさい」とささやくんですよね。
そのうち、監督の描きたいことを描く手段として「コマ撮り」を選択しているだけであって、脳内でアニメや実写に変換して観るのが正しいのか?と思ったり。
果たしてコマ撮りじゃなくなった時に、素晴らしい!と自信を持って言えるのか?とかごちゃごちゃ思ったりしましたね。
今振り帰ると、どの形だとしても面白い。今回の選択で正しいかどうかは、見る人次第かと思います!
まとめ
中身がなさすぎて引いてますが、リハビリなので許してください。
なにも見たくないし書きたくない状態だったので、これくらいで終わります。
少しづつまた欲を戻していきたいと思います。
【プロフェッショナル】庵野秀明スペシャル ”プロフェッショナル”が嫌い
いやあ面白かったですね。
あんなにたっぷりとテレビで庵野秀明を見れるとは。
後追い世代の若者からすると夢みたいな話ですよ。これは現実なのか?と思いました。
正直な感想としては、若干物足りなさもありながらも、舞台裏や声優さんとの関わり合いのシーンなどなど見れて満足でした。
カラーの社内を観るのも、この前のアニメ見本市のとき以来で、有名監督さんたちや、アニメーターさんたちも見れてよかった。
庵野監督が、アオイホノオや監督不行届のまんまであることが、少しは分かりましたね。
そしてやっぱり庵野監督にしてやられたな。と思いました。
今回は気になった点を少しだけメモします。
なぜドキュメンタリー取材を受けてくれたのですか?
エヴァを作るにあたってスタッフで熱海に合宿に行く様子が収められていました。
その中で、しきりと庵野監督が
「外の雨撮った?」とか
「(雨が)激しい時に取るの、インサートに使えるよ」
などと発言。スタッフは仕方なく外を撮影し、良い感じのナレーションとインサートを入れてました。
その他にも、「僕を映したってしょうがない」「こんなとことっても意味がない」とおっしゃったり
ドキュメンタリーの撮り方についても意見をしていました。
そこに僕は疑問を持ちました。
その後庵野監督は
「現場の困っている人を撮ってくれ」「いかに特殊な作り方をしているか撮ってくれ」
と発言。これを受けて庵野監督は
「すべていい映像にしたい」と思っている。このドキュメンタリーを商業的な映像だと実感しているのかなと思いました。
基本的にエンタメでなければいけないし、そもそもこちら側(カラーや庵野さん)の利益が生まれるような映像でないと、インタビューを受ける意味がないんですよね。
だから自分が良い人に見えるように撮ってね!とかかっこいい映像を作ってね!
とおっしゃっていたと思います。
鶴巻監督?が言っていたと思うのですが、結局自分じゃ作れないものを作りたいと思っても、庵野監督以上に、凄い映像が作れる人間はそうそういない。
だから結局、自分で作る。こっちのほうが良い!!って庵野さんが思っちゃうと、クリエイタースイッチが入っちゃう
みたいなことを言ってましたね。それがこの『プロフェッショナル』にも影響を及ぼそうとしているんですよ(笑)
庵野監督はドキュメンタリーじゃなくて、『シン・エヴァ』のプロモーションにしてしまおうとしていたんですよ。大げさに言っちゃえば。
そしてその後
「なぜこの取材を受けたのか?」と聞かれる。
その時にあっさりと
「商売です」
と(笑)
「謎めいている」ということが魅力にならない時代になった。だから開示して、行かなければいけない。とおっしゃっていました。
さすが庵野監督ですよね。
今の若者が、「親近感」を元にして情報を選択していることを感じ取っているのではないでしょうか。
ラジオやYou Tube、ティックトックなどの今主流のエンタメコンテンツは、生産者と消費者の距離が限りなく近いですよね。
ほとんどプライバシーの切り売りですよ。ティックトックなんか観てて、見た目が良いか、自己開示しまくりの開き直りがバズっているのを見ると実感します。
庵野監督は、そういった今求められるものが、安心感や距離感の近さなんだなあ
と思い「商売です」なんてつんつんしながら、出演を決めたのではないでしょうか。
そうは言いつつも、ガッツリいろんなことをお話されてましたが(笑)
お父さんのことも、その他インタビューより少し詳しく話してくれました。父の憎しみを感じていたことだったりとかね。
自殺の話も、死に損なった、会社から飛び降りようとしてた
というインタビューはどこかで拝見しましたが、あんなに赤裸々に肉声で聞いたのは僕は初めてでした。
庵野監督にとって、プロフェッショナルとは?
僕はこの質問に庵野監督がなんて答えるのか
ずっと疑問で夜も眠れませんでした。
一体あの自意識の塊のような、謎の180センチの男がなんと言うのか気になりました。
期待を裏切る形で、期待に答えるのが庵野監督っていうのを忘れていました。
プロフェッショナルってどんな人も、最後は「ぽい」事を言ってしまうもんです。
撮ってる人も、見てる人も、写ってる人も
いわゆる「プロフェッショナル酔い」をしてしまって、そういうのが気になるし、自分で語ってる内に、何か見えてきて被取材者もポロッと臭いことを言ってしまう。
そして僕らは泣いちゃうわけなんですけど(笑)
庵野監督はさらに、というかいつも、”うがった客観視”(僕らから見れば)をしていて「プロフェッショナル酔い」をすることはなかったようです。
もはや謙虚とも違うような気もしますが。
ーー庵野監督にとってプロフェッショナルとは?
(うろ覚えですが)
あんまり関係ないんじゃないですか?プロフェッショナルとか。
なんかこう嫌いなんですよね。タイトルだけ変えてほしかった。
なんと庵野監督らしい終わり方(笑)
腹ちぎれるくらい笑いましたね。しかもカッコいい!!
あれは「プロフェッショナル」っていう言葉を嫌いってことではないですよね。
番組自体を否定しているわけでも無いですよね。
単純に、そういう言葉にかこつけて、自分の存在や仕事を美化してよく見せるっていうのがそんなに好きじゃないですよって
ことなんじゃないかと思っています。
だって命よりも作品をとるおじさんです。自分はこれでしか役に立てないから、良いもの作るしか価値がないから死んでもアニメを作ります。
っていう覚悟と精神のおじさんが、「プロフェッショナル酔い」になるわけ無いですよね。
つくづく庵野監督だなあと思いました!(小並感)
まとめ
庵野監督の思惑通り、エヴァや自身を開示してシン・エヴァのプロモーションになるかと思えば、やっぱりこれまで語ったことのない部分だったり、アフレコや制作の裏舞台、色んな人の表情が写っていて結局すげえものになっていました。
NHK凄い!
個人的には、シンジ役の緒方さんがTwitterでつぶやいていた、「エヴァらしいアレ」の部分(さようなら、すべてのエヴァンゲリオンの追加)を観ることができたり、ミサト役の三石さんの、多分ラストシーンのアフレコシーン、アスカ役の宮村さんの、アスカの素性がわかるシーンのアフレコを観ることができて幸せでした。
満足です!
【備忘録】庵野秀明監督に寄り添うための手掛かり
マジ許さん。
俺の一時間半を返せ。
庵野監督オタクになるための資料をびっちり羅列していたのに、全部消去されやがった。マジでぶっ殺してやりたい。悔しいから絶対書いてやる。諦めない。
庵野監督の情報を得られるコンテンツを優先順位をつけて書き出す。2018年まで南国ハイサイ島でぬくぬくと育った若者にとって、オタクへの道は険しすぎる。
こんなにも距離で情報格差が生まれてしまうのか、とさっきまで完璧なリストを作っていて思ったよ。
全部消えたがな。
作品や書籍、現時点で視聴できるインタビュー(グレーものも含む)など
庵野監督のオタクになるための手掛かりを
優先順位をつけてまとめる。
自分で金払って観る。
備忘録的なブログです。
3・22日放送の
を機に、庵野監督オタクになりたい!
と思った誰かの通り道になれれば幸い。
庵野秀明 基本情報
非常に魅力的な人物。
カラーの個人履歴は誰が書いたのだろうか。アニメーターをし壊れ、ナディアを作り、壊れ、新世紀エヴァンゲリオンを作り壊れ、新劇場版を作りながら壊れ。
本人の作家性である「構築と破壊」を人生をもって体現。
不完全なものこそがフツウである。
子供ながらに、肉と魚を食うぐらいなら死ぬと思うのもフツウ。
お風呂に入らない年上のおじさんと結婚した、安野モヨコ氏だけがフツウじゃない。
いい意味で
映像作品
必見
・新世紀エヴァンゲリオン(1995) 鑑賞済み
https://www.netflix.com/jp/title/81033445
・新世紀エヴァンゲリオン 劇場版(1997-98)3部作 鑑賞済み
https://www.netflix.com/jp/title/81033473
↑シト新生再編
https://www.netflix.com/jp/title/81033473
・エヴァンゲリオン新劇場版:序:破:Q (2007-12) 鑑賞済み
・シン・エヴァンゲリオン劇場版 (2021)鑑賞済み
・シン・ゴジラ (2016)鑑賞済み
・トップをねらえ!! (88-89)鑑賞済み
・不思議の海のナディア (90-91) 未鑑賞
・One Last Kiss MV (2021)
・シン・ウルトラマン(21公開予定)
要視聴
・ラブアンドポップ (98) 未鑑賞
・式日 (00) 未鑑賞
・キューティーハニー (04) 未鑑賞
・彼氏彼女の事情 (98-99) 未鑑賞
・監督失格 未鑑賞
庵野さんの絵が見たい!!
・王立宇宙軍 オネアミスの翼(87) 未鑑賞
https://www.netflix.com/jp/title/70080749
・風の谷のナウシカ (84) 鑑賞済み
ディスクか海外のネトフリでみろ
・火垂るの墓 (88) 鑑賞済み
ディスクか海外のネトフリでみろ
・超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか (88) 未鑑賞
・スカイ・クロラ(08) 未鑑賞
めちゃくちゃみたい限りなく面白そう。
書籍
・スキゾ/パラノ・エヴァンゲリオン (97) 未読
庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン (\800本 (9)) | 実成, 大泉 |本 | 通販 | Amazon
電子のほうが安いけど、中野かアキバ行け
・ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ (16)未読
中野いけ
・アオイホノオ 途中
去年くらい一時期電子版買いすぎてカード止まった。
・監督不行届 読了
電子で買うか、中野いけ
エヴァストアで続編の『シン・監督不行届』連載中
モヨコ氏のNoteにて「還暦不行届」もやってるよ。月300円
・エヴァンゲリオン新劇場版:序 全記録全集 未読
・同 :破 全記録全集 未読
同じ
その他
他にも大量にあります。
同じようなことしか言ってませんが。
・インタビュー集
「庵野秀明 インタビュー」で検索。
以外や以外、わんさかでてくるぞ!!
・復活の兆し 日本アニメ見本市
ゴリゴリ違法な動画。自己責任
母校の小学生と授業。インタビュー。おもしろい。が、ゴリゴリ違法。
その他たくさん。
まだまだあるが、とりあえずここに書いたものをゆっくり観ていきたい。
色んなものを平行に浮気しながら庵野ヲタも目指したい。
宮崎駿バージョンも作りたいこの備忘録。ジブリや宮さんは書籍もたくさん出しているので、積ん読がエグいです。
【映画レビュー】『14歳の栞』 彼らのための映画でした。
寝不足が続きます。
昼夜逆転の根本原因はスマホにありました。こっから正していかないとマジで眠れません。
今日は友人が誘ってくれた映画のレビュー。
久しぶりのドキュメンタリー映画
『14歳の栞』
です。
14歳の中学生たちの普通の日常を収めた映画。35人全員にスポットが当たるというところが新鮮に感じて気になり、今日見てきました。
あらすじと言っちゃなんですが、埼玉のとある中学校2年生のあるクラスに密着。
一人ひとりに、今何を考えるかをインタビュー。お家のこと、クラスメイトのこと、恋のこと、夢のことなどまっすぐ語ってくれる彼らに
潤
とします。男なのに。
そして授業や部活、放課後の様子などの中学校生活を映しながら、インタビューで掘り下げた事柄を撮影。
さらに彼らに寄り添っていきます。バレンタインデーの風景、みんなでゲームをする風景、妹が生まれたり、実生活に踏み込むシーンも観られます。
この小さなクラスの中に、人間のすべてが、ありました。
ゴールド・ロジャー映画でした、もはや。
今回は、まず技術的な外の話
次に内容の話、んで感想という構成で言ってみたいと思います。
映画における「編集」の大事さ
この作品のすごいところは、1つ「編集」です。
ここで言う編集は、音楽をつける、とり方を工夫する、などいろいろですが
特に構成がすごい!!!
中学生たちに密着し、膨大な量の映像素材があるはずです。これをいかにわかりやすく、効果的に切り貼りするか
とても難しかったと思います。日々いろんな事が起き、大事なこと、いいセリフをランダムに吐きやがるんですよ。あいつら。
かぁ、野生の中学生はたまんねえなあ。
とはいえ自然な中学生たちですから、それを時系列そのままに流しても作品として成立させることは難しい。逆にそれがリアルだという声もあると思いますが、そこは好み。
私はこの作品の、エディットの仕方がとても好きでした。やはり音響とパッチワークのような切り貼りの工夫は大事です。
ある程度時間軸にも沿いつつ、一人ひとりのエピソードや心象が映えるようにつなげられており、驚きました。めちゃくちゃ骨が折れる作業ですよね。考えただけで難儀な気持ちに・・・
改めて、映画を作るのは大変なんだなと。
ありがたいっす。
中学生、尊いすぎる
私、少年もの大好きなんですよね。
実際自分が少年だったときも、児童文学大好きで、小中学生が卓球したり、飯作ったり、老人と畑仕事したり、斧持ってサバイバルしたりするのばっか読んでました。
映画『スタンド・バイ・ミー』も好きだし、最近ではブレイディみかこさんの『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー』なんかも良かった。
とにかく、なんか少年達の葛藤とか一生懸命さがすきなんですよね。
感動は、罪悪感の裏返しとはよく言ったもので、ある種の取り戻せない憧れみたいなものかもしれません。
捻くれていてすみませんでした!
この映画ではもっと、フツウだけれども純度の高い、一生懸命や葛藤が映されていました。
「良い!!!!!!!」
と叫びたくなりました観てて。
どんな小さいことでも、楽しかったり、悩んじゃったり。過剰に傷ついたり、過剰に逃げたりしちゃうんですよね。少しニヒルになってみたり、逆に居場所を見出したり。
どれもが、共感できたり
「そんなことで悩まなくてもええで!」
と許せたり。
逆に、今もおんなじようなこと悩んでて、「大人にならなきゃなあ」なんて思ったり。
本当に35人の中に過去現在の自分が潜んでいて、ついついドキッとするところもありました。
カメラに映すということ
本人らもこれを観るわけですよね。
これで一人ひとりが何を思って、その時を過ごしていたのか共有できることになる。
割と赤裸々にみな語っていたので、公開時期とか諸々あるとは思いますが、彼らにとってはいい体験だなと思います。
特に、映された自分を観ることができる。
カメラに映すということは、物理的に自分を客観視できるということですから、非常に新鮮なものだと思います。誰もが経験できることではない。
カメラの前だけでなく、誰かと話す時、人は必ず良い側面を多く残そうとする。
あるいは自分の正しい、を伝えようとしますよね。
自分に都合よく判断し、伝え、それを正当化して飲み込む作業です。
例えば面接とかで、なんとなく好きだから続けていた部活動や習い事を、あたかも立派な志があったかのように伝えてしまうことなど、よくありますよね。
つまり、カメラ前ではどんなに良いこと言ってても本当のことはわからないんですよ。
どこまでいっても結局理解できることは、自分の気持のみ。
だから他人を観るよりは自分を見たほうが良い。
彼らがインタビューで語った夢や、友人に対する熱い気持ちは、嘘でも無ければ本当でも無いと私は思います。
だって人間はカッコつける生き物だからね!!!
なので彼らは自分がカメラの前で雄弁に語る姿を見て、何を思うんだろう。
それを妄想するだけでも尊い。
自分の盛り加減に笑っちゃう子もいるだろうし、その部分にネガティブになっちゃうやつもいる。バカ正直に、俺はこういう人間だ!ってなる子ももちろんいるでしょう。
フィルムの中の自分を見て絶対なにか感じるはずです。
そしてそれには正解はない。
距離感の近い取材なので、批判が予想されますが、彼らのためにも十分なる映像なんですよ絶対。
インタビューを見ている限り、どうやら今の中2はこういうのを観て何かを学べる立派な奴らでしたしね!!!
むしろ一番ためになる(表現が見つからず妥協)のは彼らですよ。彼らのための映画ですこれは。
学校は小さな社会なんて言うけど
ここからは感想や好きなとこなんかに触れて行きます。
ほんと面白いと思いました。
傍から見る分には最高の場所でした中学校。
もう戻りたくないですし、教員にもなりたくは無いですが(個人的)
社会の縮図というよりかは、人間のすべてという感じ。
こんな小さな規模であれ、すべての感情や思惑、喜びが渦巻いている空間でした。
きっと私はそれに気づかずにいつの間にか、蓋をしてしまっているんだと思います。
めちゃくちゃおもしろい場所です。
あまりにもキュンとしてしまった場面を1つだけメモします。
みんなからうるさい(笑)とか言われてる一人の男の子が居て、その子と仲がいい女の子が居ます。別に好きとかそんなふうなことは直接聞くことはないんですけど、ふたりでイオンに行ってアイス食べたり、一緒に帰ったりして可愛いんですよね。
場面変わって、その口下手なうるさい男の子のインタビューになります。そこで撮影者が、
「大人になっても忘れたくないことは何?」
と聞いた時に、照れくさそうにするんですよね。迷うなーとか言いながら。
それで
「アイス食べてる時とか、〇〇さんとお話した時とか・・・」
と口下手ながら答える。
思わず指ハートしました。
子供心とか好きな人とか、そういうのじゃなくて、
「自分がドキドキしたり幸せを感じたその一瞬の記憶を忘れないでいたい」っていう男の子の気持ちにキュンとしました。
なんつーピュア。ピュアです。
最高でした。
あと担任の先生が良かった。
まあ、オナニー教師ですよ。
教員ってのはどこかで快楽を得ないとやってられない職業です。褒美みたいなもんですよね。
単純な良い先生と生徒の青春美談で終わらさないのが良い。もしかしたら受け取りての想像力が多少必要かもしれませんが、最後転勤する先生の涙が良い。
自分でかってに感動してる感が良い!!!
いい意味で滑稽に切り取るというか、先生の視点と生徒の視点はまた違う。
これは先生が嫌われていた、ということではなくて
日々授業や雑務に追われ、難しい年ごとの人間と相手をし、なお自分の伝えたいことをつたえ、それを概ね良い感じに生徒が受け取ってくれたと感じることができる。
忙しかった、大変だったからこそ、思い出が綺麗に見えるし、別れも寂しいんですよね。だって頑張ったんだから。教員ってかなり大変な職業です。
その、ある種、自己快楽的な涙とも受け取れるエディットの仕方なんですよね。先生ってそうだよな~という共感と、大変な役割を果たしたことへの賛辞です。
生徒との視点とはまるで違うわけなんですが、それで良いんですよね。先生だって人間だから。
まとめ
自分のことも考えつつ、少年たちに思いを馳せつつ、小さい中の人間を味わう。
ドキュメンタリーらしい素敵な映画でした。下に公開劇場も載せておきますので、ぜひぜひ皆さん見に行ってください!!!
公式ツイッター
【UGブログ】イタイやつからの卒業
今週のお題「〇〇からの卒業」
なんとなくお題を使ってみたいと思いまして!
今日はUGブログを書きたくて書いたのではなくて、書き残したいことがあるけどそれだけ書いてしまうのがちょっと恥ずかしいなあという幼心から書き始めました。
ofsp0604-oto363.hatenablog.com
今もお世話になっている方に、ニューハーフショーに連れて行ってもらったことを書いています。これほど過去の文章を振り返って、
嫌な気持ち
になったのは初めてです。これまでの記事はちょっとかわいげがあったんですが、この記事はありすぎ。
痛々しいったらありゃしない。ちょっとあんたちょっと優越感感じすぎ。顔から火が出るかと思いました。
ここを未だにイタイと思ってしまう自分にも嫌気が差しますよ。
じぶんなんだから許してやれーい。
これ以上傷口をグチュグチュすると辛いので、この辺にして置くんですが、すごく楽しそう。これを書いている時の記憶も確か、楽しんでいたと思います。
あの頃の自信と価値観はどこに行ったのか。今日、僕が好きな佐伯ポインティさんの動画を見ていたのですが、
漫画紹介してるのが超面白いんですよね。人柄もそうだし、漫画編集をしていた事もあって。
しかも今日私も同じようなことをやったんですよね。やっぱ私のは「情報」って感じが強すぎるなあって感じたんですよね。いつからそんなふうになってしまったのか。
バカバカしいものをバカバカしいまま楽しんだほうが得じゃね?と。
というかせっかく色んなもの観たり、たくさんの楽しいもの知っているんだったらそういう雰囲気を醸している人でいたいんですよ!
古田新太よりもムロツヨシが良いみたいなね?どっちも嫌ですけども。
このままじゃ堅苦しい文化人気取りオタクになってしまいかねないという危機感
ただ事じゃねーーーーーーーーーーーー!!!!
ここで方向転換しないと取り返しのつかないことになる!ということで
楽しいオタクになります!!!!
おもしろい人になりたいのであって、上のような人にはなりたくないのですよ。
なのでおもしろがりかたを変えたいと思います。面白く楽しく、分析もできる。時代はマルチよ。
しかも好きだから観る!それを忘れずに!あとオレ一般人!
最も個人的なものが最も創造的である、って偉い映画監督が言っていたので、オリジナルの見方や書き方を開発するチャンスですよね!面白くて詳しくて、楽しいオタクを目指します!!守破離!
【感想・レビュー】『one last kiss』 無限に代入できる歌詞の魅力
まずはこちらをお聞きください
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
配信して数時間で300万再生という、YouTuberの方々もびっくりの再生回数とそのスピード。凄まじい。
それもそのはず、この曲先日公開された『シン・エヴァ』の主題歌となっております。
ある宇多田ヒカルさんのプレイボーイかなんかのインタビューをきっかけに、エヴァンゲリオン新劇場版は、宇多田ヒカルさんが曲を書いてくれるのがもう恒例になりました。
超波に乗っているときですよ。当時。ファーストラブとか、日清のCMとかやっていた時代です。その時からちっとも変わっていないどころか、このMVを見てくださいよ。
近いのに
かわいいんですよ??
人間を舐めるなよと。
しかもこのMV最新作&最終作だからっていって庵野秀明監督が、監督したっていうじゃないですか。
そしたらなんだこの芸大のカップルが撮った見てえなビデオはよお!
「こんなかわいい彼女と付き合ってまーす♫」
じゃあねーんだよ。庵野がよ。
しかも普段着の中でも、てめえ好みの着せやがって。
なんならお前が伊勢丹のメンズ館で買ったんだろ?オーバーサイズでよお。
ストリート系でよお。
最近ラジオエヴァとか言って
こんなのとか着せてたのは、キャラだけじゃねえぞー?ってか??
しかも何だちょっと照れくさそうに、ハミング風にしやがってよ!!!宇多田もよお!!
ちょっとロンドンの路地裏で、
庵野「ラッパーみたいなノリやってよ(照れ)」
宇多田「え~、ハズ(笑)(やるけどさっ!)」
じゃあねえんだよ。
てかお前ら最高すぎ!!!!!!!!!!!
普通にプレミアム公開で泣きました。号泣。宇多田ヒカルさんをあんなにナチュラルに動かせる人が一体何人いる?日本に。
さすがシン・ゴジラで石原さとみをエセアメリカ女にしただけはありますよ。とにかくあのういういしさと、フレッシュさが凄まじい。(30代女性と60代男性が)
まさにあの映画にふさわしいMVで脱帽。
毎回ですが、歌詞もすごくて劇場でも家でも電車でもボロボロ泣きました。
これだけでも書いていてすごく楽しいけど、今回は歌詞にフォーカスして、素敵な曲である『one last kiss』の感想をあげようかなと。
その中でも、「視点」という視点で、曲の解説をしていきたいと思います。
今回は一曲のみ紹介です。ネタバレは嫌なのでまたいつか解説します。
色んな顔をもつ『One Last Kiss』
もちろん普通の、お別れの曲としても最高の曲です。
イントロも過去に出した曲である、『道』のオマージュになっていて、あの曲もかなりお母様(藤圭子)のとの別れと向き合い方を直接的に書いた曲だったので、やはりエヴァとしても、完結の曲ですから序盤から意図をビンビンに感じましたね。
正しい歌詞が、パンフレットに乗っているのでそこから多少引用します。
初めてのルーブルは
なんてことはなかったわ
私だけのモナリザ
もうとっくに出会ってたから
初めてあなたを見た
あの日動き出した歯車
止められない喪失の予感
もういっぱいあるけど
もう一つ増やしましょう
(Can you give me one last kiss?)
忘れたくないこと
これがとりあえず一番の歌詞です。素敵ですね。
普通に一回考えましょう。
ルーブル美術館で、有名なモナリザを見たけれど、どうってことない。あの日君orあなた(大切な人)を見て、ドキドキして何か運命が動き出したあの瞬間以上のときめきは見つけられなかったよ。
ってことですよ。正直ね。エヴァの本予告が公開されてね。この曲のたった2フレーズ聞いただけで度肝抜かれましたよ。
あれから数ヶ月立つけどもう何百回と聞いたんだから。
しかもこいつと別れたらとんでもねえんだろうな、ってビビるくらいですよ。すごいですよ。
この曲全体通して、そういう誰かを歌って、結局はやっぱり忘れられない人なんだ、でももう一緒に入れないんだ。って感じです。
これが複数の視点で見ると死ぬほど泣けるんですよ。どれだけ絡み合って掛かってるんだと。
宇多田ヒカル、てめえは令和のねづっちかい?
ってなもんですよ。見てきますよ。
エヴァオタク視点
将来ルーブルに行こうがミラノに行こうが、どんな有名な文化財を見ようが、
(私だけのモナリザ)
にとっくに出会っちまってんのよ俺らは。あのエヴァに最初ハマる時、ドキドキした感覚。これ全話見終わったら、とんでもなく寂しくなるんじゃねえか??
でももっともっと見たい。もっともっと忘れられないエヴァを見たい!!
そして
そういうことなんだよ。いいか??この気持がわかるか?????????
2番の歌詞もかなりいいですよ。
「あなたが焼き付いたまま 私の心のプロジェクター」
「誰かを求めることは 即ち傷つくことだった」
俺たちの心のプロジェクターにはエヴァが焼き付いて離れないのよ!!!
エヴァ早く作れ!!!!みたいな俺らの請求が庵野を鬱にしたのよ。そして俺らも追い込んじまって傷ついたのよ。
どうしてこれがわかるんだ、宇多田ヒカルと。
それは彼女もエヴァが好きだからなんですよ。
「もうわかっているよ この世の終わりでも 年をとっても 忘れられない人」
俺らはそんくらいエヴァが好きなのよ。
すごいのよこの歌詞。ただのラブソングじゃないの。
宇多田ヒカル視点においても、息子さんや過去の男性のこともあるでしょう。
最近はTwitterで、「息子がパジャマ畳んで朝の準備して私を起こしに来た」(どうしてもミラクルひかるの声で再生される宇多田ヒカルの声)
って親離れを少しづつ感じていましたしね!!!
宇多田さんならいい男も数え切れないほどいるでしょう。
だからエヴァ=人なのよ!!!!!!!
そういう面もあるよ絶対。そして庵野監督のこともあるよ。恋愛とかじゃなくてね。
とにかく宇多田ヒカルにとっても、エヴァがかなり重要なのがわかるわけですよ。それが良いんです。
もう視点分けるのめんどいから、見出しは最初の一回だけだけど
庵野監督視点もたくさん見方あるわけじゃん。
自分の息子のような作品との別れ。
単純に奥さんとか大事な人のことを当てはめる事もできる。
会社でも仕事仲間でも、色んな思いを妄想できる歌詞なんですよ。この歌詞は。
曲とか製作者とか自分の思いだとかなんでも無限に代入できるんですよね。
どの曲でも自分に都合よく捉えて頑張るでしょ?
ザードの負けないでとかで受験頑張るようなもんよ。(坂井泉水は受験生より頑張ってるよ)
それがエヴァで僕の大好きな宇多田ヒカルだからあんなにガン泣きしてインスタグラムに乗せるんですよ。
理解できましたか?以上です。
【『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』レビュー】追加カット、アップデート版を観た加筆
EVANGELION 3.0 +1.01 を見てきました
昨日早速アップデートされたシン・エヴァンゲリオンを観賞。思うところがあったので加筆させていただきます。今回で7回目ですが、それ以前の解釈や感想は加筆分以降に綴ってありますのでぜひ。
追加カット
今回の目玉である追加カット分のシェアです。Twitterでも検索しましたが、割と情報が錯綜していてよくわかりませんでした。ガチ勢の方を待ちつつ私が発見したところを書きます。
・アバンタイトル大量追加
井関さんが作監を務めるアバンタイトル内に、追加カットがほとんど集中していたように感じます。
マリが飛行機型のエヴァを上空から踏み潰すシーンで、下からのアングルが追加されてました。
エヴァ44Bが電力チャージをしている様子を前方斜め上の位置で撮影したカットの追加(より立体物として、バッテリー的な役割としての44Bが見れました)
敵の銃身をよく見せるカットが追加されていました。
不確かですが、覚えているのはこのあたりです。もっと多くあるかも知れません。
・第3村パート追加
コア化した街を写すオープニングにも、追加された部分があったかと思います。
村パートでも違いがちょこちょこ見受けられました。印象的だったのは、ケンスケがビデオを持って撮影している彼自身のカット。顔まで出ていたのは今回だけだったような。いきなりアスカを撮影するのが少々生々しいとの以降でしょうか。
家でしたシンジを追うアスカがワンダースワンを置いて出かけるのも追加されていたかと。薄い本も相まって、アスカがどれほどシンジを気にかけているか、どれだけ大事な存在であるかが追記されています。
・ラストシーン間際追加
村以降のシーンは単純に面白かったのでカット探しができませんでした。近々観てまたかければと。
ラスト、海(第三村付近?)に種子ユニット(船員が乗っているもの)が落ちており、大地に足跡が複数存在していますが、その最後にプラグスーツの足跡カットがありました。正直、アプデ以前にあったかわかりませんが、そこは気になりました。
アスカのエントリープラグは村に届いていたため彼女が新劇アニメのエヴァの世界で生きていくことを決めたのはわかりますが、あの足跡は何なんでしょうか。
考えられるのはアスカの存在を示唆する増強素材。またはレイも同じ世界で生きることを決めたということかも知れません。
シンジとゴルゴダオブジェクトで話すシーンでは、最後制服で髪の短い綾波になってました。それは村でコスプレさせてもらった綾波だと過程でできてもうひとりの自分として生きていくことを示唆しているとすれば、村に戻る際には現実世界で消える前に直近で着ていた服になるはずなので、そのプラグスーツの足跡なのかなと解釈できますね。
薄い本について
なぜ薄い本なんて軟派な言い方を……なんて思っていましたがキャラデザなどを手掛けた松原さんによる描き下ろし漫画。アニメーターや技術の方々によるイラスト寄稿と、まさに薄い本でしたね。
個人的には、ショートヘアのミサトとリツコが農園をし、後ろにはカヲルと加持リョウジらしき人が描かれたイラストと、私の大好きな改二号機と8号機がNERVに突っ込むシーンを描いたものが大好きです。もちろん全て宝ですが。
今回の観賞でも思いましたが、カヲルはやっぱりゲンドウのもう1つのイメージだと私は解釈したいです。
Qの前日譚漫画ですが、初号機奪還作戦の2時間前という設定でしたね。まさに二次創作でした。マリが制服であったり、アスカが以前のプラグスーツを着ていたりすることは、制作段階では、NERVからの独立直後で装備がままならないという意図だと思うのですが。その部分を妄想することができる、しかも公式が描いてるわけですから、なんなら二次創作というよりもこっちのほうがロマンチックだから修正します! と言っているようなものですよね(笑)
アスカの心情が深堀りされて嬉しいところではありますが、前日譚まで描かせないとどうしてもアスカが裏切り者のように捉えてしまう方もいるのは、製作者に申し訳ない気持ちもしますね。
7回見て新たな気づき
7回目の鑑賞と薄い本や追加分を受けて解釈できた、解釈が変更した部分を書いておきます。
アスカとケンケンの関係
アスカが言う通りシンジに必要なのは母親であり他人の存在であったし、アスカにも必要なのは、心地よい距離感で受け入れてくれる人や場所が必要だったのでこの形がやはり1番いいと思います。
メタ的な解釈がまじりますがシンジは庵野秀明の色をより濃く受け継いでいるため、別の要素が必要でした(完結のためにも)。
アスカは認めて欲しいという気持ちがあり、それはNERVに造られた人格や思考ではない部分が自分にあることを実感したいという気持ちでもあると思います。だからシンジのことは大切であるけれども、それが本心であるかわからない。シンジへの気持ちが強くなるほどに、自我が揺れるわけです。だからケンケンという居場所で安静に過ごすことが重要であるし、きっと彼女も求めていたと思います。
ケンケンは、中学の時はトウジと委員長が付き合うなんて考えられなかったよな~と発言していて、あんなツンデレは誰でも見破れるのでそもそもが恋愛にかなり興味がないと思われます。
というか身体的年齢は置いといて、28歳の男女なんだからほっておいてあげましょうよ。脅迫の騒動もありましたし、声優の宮村優子さんがインタビューなどでアスカの思いを不粋にならない限界まで言及するのが私は苦しいです。映画や演技の中にたくさん思いを込めている、それをグダグダ説明させるのは大変失礼な行為だと思いませんか?
どうしてもケンケンが憎いなら、無理矢理にでもクリーンな関係だと解釈すべきです。製作者や演者にまで観客のエゴをぶつけすぎては元も子もないと思います。
父さんの神殺し
ユイが地球外生命体であることが明かされて(アダムスの一員または使徒??)、おまけの夜さんのアダムス解釈(下記にURLあり)も相まって、すべてはユイの計画の通りになったことは理解していました。
元は地球に順応して暮らすはずだったユイたちは地球の破滅(使徒との争い)を知り今回のフォースを止める形でシナリオを組んだと私は解釈しています。
ですが、ずっと神殺しの意味がわかりませんでした。シンジの「父さんは、見送りたかったんだね。これが父さんの神殺し」がピンと来てなかったんですが、今回みるとわかりましたね。
ユイは地球外生命体で、封印柱や槍などの知識を授けたと思われるので単純に、人間や使徒を凌ぐ力を持った「神」である、と解釈できます。そのユイがシンジや人類のためにエヴァというものに縛られている(初号機に入っている)。そんな彼女を開放し、自らの手で存在を消すこと、それが神殺しであり、見送るということであり、「ユイに会う」ということだ、と私は解釈します。またユイはゲンドウにとっては突如自分の人生に現れた「女神」のようでもありますしね。
マリはそんなユイの力で、あの姿のまま存在でき、ユイの愛する息子を守る任務を果たしたのかなと思います。
ゲンドウ=カヲル
これについては、物語的な整合性もメタ的な理論も見当が付きませんが成り立つことなのだと思います。セリフや薄い本でのイラストも相まって少なくとも制作サイドにはそういった意図があって、きちんと説明できる筋があるのだと思います。
ゲンドウもとっても素敵です。願いがかなってよかったよ。
ラスト、シンジはどこにいる?
これに関しては、実写つまりこの三次元の世界に存在している、と最終的に解釈しようと思いました。時間を戻ったりやり直したりしないで、エヴァが必要ない世界に書換えるだけ。
というのはあくまでも彼の気持ちなので、書換えるというのは世界ではなく自分自身の存在をアニメのエヴァから消し去って、現実世界に存在を描いてしまおう!的なことなのかな。別世界とも言えますが、シンジとマリが私達と同じ世界にいるって考えたほうが嬉しいのでそう解釈させていただきます。
なのでその他の登場人物たちはスクリーンの中で生き続け、シンジとマリは意思を持ってこっちの世界に飛び出してきた、と。反対側のホームにいる、カヲルやレイ、アスカはもちろん「そっくりさん」です。世界にはそっくりな人が3人はいるってよく言うでしょう。
こんなところですかね。また複数回見て気づいたことがアレばまた加筆します。
やっと待ちわびた日が来ましたね。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』公開です。
私も朝イチとはいけませんでしたが、劇場違いで午前のIMAX上映と、午後の通常上映のチケットを購入し2回鑑賞しました。
率直に言うと
最高に良かったです。
あースッキリした。何をツイッターでつぶやいてもネタバレですからね。ここにかけてよかった。オールタイムナンバーワンの映画です。今のところですが
今回は、
- 中身(ストーリーや設定)
- 外(演出、撮影など)
- 奥(シン・エヴァから感じたこと)
という構成で書いていきます。
ちなみにパンフレットはまだ読んでません。
どうしても自分の言葉や感じたことを先に書きたかったので。もし面白い情報がアレばどんどん追記しようと思います。あと複数回は見に行く予定なのでその都度で!
中身について ~高難度パズルを作ったカラー~
今回のシン・エヴァの構成を組む際は、きっとパズルのようにして作ったはずです。
TVシリーズからは25年が経過し、新劇の初めの構想は2006年くらいなのでだいぶ時間が立っています。
なので今回は
いかに矛盾を出さずに、やりたいことをやっていくか
の戦いだったと思います。
かなり骨が折れる作業だったかと。本当に庵野監督達の血のにじむようなモノを感じましたね。
そしてやはり、冒頭12分は観ていてよかった。私は一昨年、日比谷で0706作戦時に鑑賞しましたが、昨日も気合い入れてみてよかった。
あのアヴァンが終わった後の、裏切りの展開に心拍数が上がるのを感じました。
「庵野テメーやったな!!!!!」
そこからはニヤケが止まりませんでした。引っかかることがあればすぐに綾波が聞いてくれるし、トウジとケンケンはなんでも優しく答えてくれる(笑)
”邦画おなじみ”の「戦後のたくましい昭和の世界」と、「説明不足」に対する怒涛の回答をこれでもかと叩きつけられました。
腹が捩れるかと思いました。(実際はそんなに笑っていない)
こういうことをやれるくらい庵野監督達元気になったんだな!
と思い涙が出ましたね。(実際に出た)
【加筆】つまんない(映画業界で)とされていた◯丁目の夕日感を煽りと僕は判断しましたが、庵野氏の原風景であったり、生活の営みの(そういうのが下手だ)表現への挑戦。そしてエヴァではどうしても「日常」が足りていなくて”壮大な虚構”を観ている感覚が大きかった。それで名作を作れてしまう庵野氏がすごすぎるのですが。そういった今まで足りなかったピースとしての第三村のパートだったのかと思います。
ストーリの骨組みとしては
序盤
シンジの立ち直りをできるだけ丁寧に描くための、「昭和パート」
わかりやすくとっつきやすいのに、強烈に性格が悪い映像でした。
ここも訂正ですね。
情報の共有と忍ばせるバランスが非常に良くて、しらけることもなく、彼らの居場所をリアルに実感できました。
と同時に不気味さと不穏さ、秘密が散りばめられていて良かったです。
中盤
準備パート
これまでに何があったのか、これまたバランスよく明かしていき、人間関係や情報を整理整頓。
そしてヴィレとネルフの戦いの準備も進められていきます。
ヴンダーの本来の使用方法及び、ヴィレの組織の説明。
乗組員たちの複雑な思い。
テンポよく次々とパズルのピースを埋めていく感じでした。
そしてQは優しさだったんだなと痛感。
何も言わなくても楽しませるから信頼してくれ!との願いを無下にしてしまった私達観客に
「じゃあ全部言うし、全部描くから処理しろよ?お前らが言ったんだからな?」
という空気が流れ始めます。そしてそこから怒涛の後半へ
何回も見たり、その他のレビューや解釈を参照するとだいぶわかりやすくなりました。本当によくできていると思います。
終盤
すべてに決着。
ヴィレ ゼーレ ネルフ マリ シンジ クルー 庵野監督達皆の「希望」の終着駅へと向かいます。
過去一番の迫力の戦闘シーンから、シンジとゲンドウの精神世界を使った遊びまで
すべてが詰め込まれている。
こんなエヴァ観たことねえぞ!!!!と叫んでいました。
大体のフレームはこのような感じでしょうか。ラストシーンなどその他諸々は次の章で考察致します。
答え合わせ
今回で、エヴァは出すもの出したので、ついに設定の考察に終止符が打たれるはずです。
ここでは『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』で明かされた情報とそれから読み取れることを簡単にまとめてみます。
新劇の世界は、旧劇場版の続きの世界である(ゲンドウの「お前が選ばなかった~」のセリフから)
すべては死海文書通りに進行してしまうため、結局シンジが旧劇で選んだ世界もこうなってしまった?
ゲンドウは、魂を補完し合うだけでは「希望」が叶えられないと判断し、細工(封印柱で人間にとどめた式波タイプを作成、惣流所在不明、渚カヲルを13番めに落とすなど)。体も心も進化できるシナリオを用意。
裏では第一使徒であり永遠の生命体、渚カヲルが加持リョウジを使いシンジを幸せにするために策を用意。Qで失敗してからは加持リョウジがメインに執行?
それをも把握したゲンドウはニアサード、サードを起こす(ニアはカヲル、サードは加持が阻止)
そしてフォースを起こす。目的は死海文書の指示通りに生きる+ユイと会うため。
しかし裏宇宙の変な場所にはユイは現れず。そのままヴィレ産の槍で阻止。
シンジを抱きしめた時に、自身の「希望」が間違っていたことそして、叶うことを知りゲンドウ自身のストーリーを選択し、分岐。
シンジは加持のように身を挺して、世界の書き換え(ゲンドウのように、登場人物たちがそれぞれの居場所に分岐できるように)を行おうとする。
アスカはケンスケが居るシン・エヴァの世界を選択。魂は惣流?なため、あの浜辺でお別れ。
カヲルもシンジを自分の「希望」に見立てていたことに気づき分岐。(ミサトと農業するとかいいつつ綾波とデートしていたが、あれはシンジのストーリーなため別。)
レイは元からユイのコピーなため虚構の世界を選択。
シンジは自分のストーリーが用意されていないことを悟りつつ、マリの世界や関わりはないがどこかで誰かの世界に存在することで満足しようとする。
がユイが初号機内から現れ、シンジの代わりとなる。その後ろにはゲンドウ。夫婦で世界の書き換えを行う。
ユイは死海文書を知っていたはずなので、初号機にダイレクトエントリーしたのは故意。(シンジの「全部わかったよ・・・」から)初号機から出ようとしなかったのも、シンジが犠牲になるこの未来を知っていたから?冬月コウゾウの「これで良いんだな?ユイ君」から、ゲンドウを除く冬月・マリは聞かされていたのではないか。
マリがシンジを大事にするのは、ユイの遺言によるものではないか。そこでマリは何らかの方法で(アスカが言っていた「エンジェルブラッド?」)で人間とエヴァの間(シンジと同様)の存在となり、息子だけは幸せにしろ、ゲンドウは勝手に会えるからとの遺言を遂行したのではないか。それを理解したからゲンドウは電車を降りた。
ミサトとユイふたりの母親に守られたシンジは、「マリがいるストーリー」を選択。
マリは裏宇宙内で他人のストーリーと同期できるように、アダムスの器(神の器?)を捕食しオーバーラップができる8号機を作成。シンジが選択したストーリーにたどり着いたマリが手を触れた瞬間に、ふたりの世界が始まる。
ってな感じでしょうか。あくまで個人的な解釈ですが、これでとりあえず納得しておきます。
今考えると全然違ったストーリー理解になっていますが、『シン・エヴァ』がすべての答えです。語られなかったことは一生わからない。これは考察のしがいが無いし、個人の様々な解釈があっていい。そしてそれが望みでしょうし、この際ストーリーや設定は特に気にしなくていい作品になっています。面白い動画はいくつか散見しますので気になる方はこちら↓↓↓↓↓↓
外について ~ここからが楽しい!~
本当にすごいシーンや、こだわりの連続でどこをとっても狂おしいほど好きでした。
冒頭のマリの戦闘シーン、船を使ったヤマト作戦などアクションもさることながら
飯も食わずにゴロゴロしてるシンジに馬乗りになるアスカのシーンのカメラワークだったり
4Dでもかなりの迫力。シンジ視点のイタイところを突かれる感覚と、アスカの葛藤をよく表している凄いところです。
ゲンドウとシンジのアニメで特撮を初めるシーンだったり
物語上でも、庵野監督の中でも重要な「儀式」となっていたシーン。ゲンドウが新たな世界を作るために行った儀式であり、庵野氏が「エヴァ」を終わらせるにあたり悔いをなくすため、そして敬愛する特撮への誠意のための儀式だったわけです。
日向が誘導弾を発射する際に、ボタンを押す指が反転した左手の親指だったり
音楽もそうですが、『惑星大戦争』でのミサイル発射ボタンの押し方をオマージュしたようです。鷺巣詩郎さんがエディットした「激突!轟天対大魔艦」も素晴らしいです。庵野氏も思わず涙したそう(ライナーノーツより)
ヴンダーから発射される、生命の種子がたんぽぽの綿毛の形をしていたり
SFもしながら、庵野監督やカラーでしかできないようなとんでもないことをしていました。
あんなに激しく機体が動くのマジですごいですからね。やっぱり天才の集まりだよ。とにかく動きがすごかった。CG作画のクオリティがとにかく訳がわからなかったです。
アスカとマリが、無重力でエヴァに乗ろうとするところとか、シームレスに作画の変更が行われていてあんなの初めてみましたよ。
そして一番やべえのが、
終盤 シン2号機と改8号機が、ネルフ本部にある13号機を破壊しに行くシークエンス。
あそこ神です。あんなロボットアニメ観たことないです。あれがほんとの空中?戦闘ですよ。一方方向に進んでいる時に戦わせることによって、スピード感とリアリティが増します。
足場のない中で、ジェットパック的なもので浮いて戦う戦闘はやはりリアリティにかけますからね。あの勢いがホンモノです。
新二号機の背中から、ミサイルみたいなエネルギー弾が螺旋状に放出されてるシーンはすごかった。あのシーンを超える、射撃シーンがあったら教えて下さい。
背中に背負っていたでかいミサイルが螺旋状に着弾し、エヴァ7シリーズの爆発の中を進んでいくシーンです。あそこは六回見ても飽きない。まだまだ観たい。
回転や螺旋が多く使われたので、『グレンラガン』も連想してしまいましたね。
とにかくすごいシーンの連続。女の子たちの質感も超良かったです。
ヴンダー船員の、ミドリとサクラの葛藤もかなりいい演出でした。
特にサクラ。自分なんてシンジの行動の結果で、怪我もさせられているし、家族も失っている。なのに兄の親友であること、兄ゆずりの人情深さ、そして高い共感力を持ち合わせて、見事に葛藤しまくってました。
庶民側のことを意図した演出で、サクラだけに背負わせ過ぎかとも思いましたが、あの流れで見てしまうと辛くてしょうがない。あれはいいシーンです。
庵野氏は「世代間の感情の差」をどうしても描きたかったのでは無いでしょうか。セカンドインパクトを”知っている”世代と、ニアサードインパクトがダイレクトに人格形成に影響を及ぼした世代みたいな感覚です。この間、東日本大震災時に子供だった方たちが10年経ってどう生きているのか、というドキュメンタリーが放送されていましたが、まさにサクラやミドリのような背負い方をしていて、大災害の爪痕の大きさを実感しましたね。奇しくもそれが描かれているんじゃないかと。
奥について ~3人の庵野監督と出会う~
エヴァンゲリオン自体、庵野監督自身が全面に溢れでた作品です。
先日上田慎一郎監督もEOEを視聴し、「日記やん」と言っていました。
それほど滲み出る庵野なんですが、今回は3人の庵野監督が映画に登場していました。
それは
- シンジ
- ゲンドウ
- カヲル
です。この3キャラクターがそれぞれ、庵野監督と呼応していたように感じます。
シンジは、「エヴァを作る庵野秀明」
何もわからない、できない、怖い。でも誰かのためにという「希望」を持ってエヴァに乗ってきたシンジ。今作では、自分としっかり向き合って「落とし前をつける」と発言。
またしても身を挺してみなを救おうとします。友人や仲間、父親のことを理解しようとし、決着をつけに行く。そして新しい道へと進んでいくシンジ。
これはまさに、エヴァンゲリオンの監督として、作品を作ってきた庵野秀明監督そのものだと思います。よく苦しい状況を乗り越えて、最後のエヴァを作ってくれた、と思うと涙が出ます。
宇部新川駅の階段を駆け上がり、マリの手を引いて走るシンジを見てもまた涙。すべてを吐き出して、新しく生まれ変わった庵野監督を見るのが一生の楽しみです。
何かを作るたびに壊れてきた庵野氏を象徴するキャラクターになったのが碇シンジでした。過去のインタビューなどを観る限りでも、作品と監督が強く結びついているのがよくわかります。ユイという存在がシンジにとっての母親であり、庵野監督にとっての「答え」だとすると、やはりエヴァを作っていた自分の中に、見つけるべきものがあったのではないかと思います。
ゲンドウは、「人間としての庵野秀明」
ずっと苦しさや、寂しさを抱えていたゲンドウ。ユイを失う辛いこともあった。シンジから離れることが良いことだと、罪を償うことを考えていた。でも違った。
シンジの中にユイ(希望)があった。子供なんだから遺伝子的にもそうですよ。最初から、シンジと向き合うべきだったんですよね。
庵野さんも若くして天才と崇められ、『アオイホノオ』なんかでもめちゃくちゃ変なやつに描かれてます。うつ状態になってくるしかった時期もあったと思いますが、やっぱりシンジ、エヴァを作る自分の中に何か答えのようなものがあったのだと思います。
初めて語られたゲンドウの内面から、様々なことを慮る事ができます。鷺巣詩郎さんもなんでこんなピアノ曲ばかり作るのだろうという疑問が解けたと書いてありました。これはゲンドウの独白であり、庵野監督の独白でもある。フェイクと真実を交えながら少しだけ素直に語っています。シンジ=エヴァを作る自分、を遠ざけてしまうこと(実写を作ったり、アニメ見本市をしたり)することを乗り越えて、やはり自分の希望をその中に見る。シンジとして、エヴァ作る監督としてエヴァを終わらせることに努めたと思います。
カヲルは、「クリエイターとしての庵野秀明」
シンジを助けなければ行けない。どうにか幸せにしないといけない。でもカヲルはそれが結局はシンジのためではなく自分自身が幸せになるために行ってきたことだと理解します。そこでカヲルも許されて楽になる。
自分を客観的に見つめて、ものを作る人としてエヴァを作る自分をどうにか楽にしなければいけない。カヲル許すことで自分自身もエヴァから開放されるんじゃないでしょうか。
しばしばカヲルは碇ゲンドウのもう1つの人格であるという論も散見します。私も概ね賛成です。表裏一体の存在でした。どこかで庵野監督は、「エヴァを終わらせなきゃいけない」とずっと思っていたはず。そうでないとリビルドを超えた『シン・エヴァ』にたどり着くことはなかったと思います。その焦りがさらに自分を苦しめた。シンジと向き合い、逆にそこに自分の本質を見出すことによって、煉獄から抜け出し、身軽になったカヲルであり、庵野監督だと思います。
寂しいが消える
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の公開日が決まって、正直寂しさが大きかったです。エヴァが終わるんだなあってただ自分が消費する身としてしか考えていなかった。
上の奥考察はあくまで私の感じ方なのですが、あの3人と庵野さんが重なって見えて、もう幸せでしかなかったです。
庵野監督達ががとても楽しそうにそれを教えてくれているように感じて、自由になった庵野監督を心から祝福したい気持ちで一杯になりました。
だから全然寂しくなかったです。
清々しかった。誇らしかった。
走っていくシンジ君が意思表示に見えたからです。これからも一生庵野さんのファンで居続けます。
本当にありがとう。関係者の皆様方。
さよなら!すべてのエヴァンゲリヲン!!!!!!!
この後、若い自分は碇シンジにシンクロすることができない。という古典を楽しむときに必ず現れる壁とも対峙しました。その様子はこちら↓↓↓↓↓