ヒモ夫の日常

駄文、愚文

大学生と名画その71「羅生門」(1950年)

羅生門」(1950年)

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三船敏郎かっけーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは。じつは今見ながら文章を書いています。水曜日は夜中にアニメ見てるんですよ。そっから探偵ナイトスクープを見て、そのままグダグダポケモンやってたらもう3時前になってしまいました。しかもなんか全然勝てなくて気分が悪くなるのみ。もううんざりです。(明日も必ずやる)だから仕方なく時短ブログしてます。

ぞくぞくするようなシーンです。超怖い。

今日はそんな映画の「羅生門」です。いやあ面白い。なんか教科書でも読みましたが、全然違いますね。教科書って一部を抜粋したやつなんですかね?調べてみます。

なんかよくわからなかったんですが、映画羅生門Wikipediaだけでも一読するのをおすすめします。ガチおもろいっす。これだけでも!

やっぱり見れる黒澤明の映画は全部見ることにします!!このリスト見終わってからも見るものが沢山なので、飽きずに秋学期も過ごせそうですね!!

リストによると

ジャンル:時代劇

監督:黒澤明

主演:三船敏郎 京マチ子

コメント: 雨の羅生門で、僧侶と樵が雨宿りをしている。2人は不思議な話を語り始める・・・。大地も割れよと叩きつける豪雨、森の中の流麗な移動ショット・・・・・世界中の映画でコピペされた伝説のカットが次から次と出てくる。ベネチア映画祭 金獅子賞獲得。

リストより

 だそうです。この難しい漢字は、「きこり」と読みます。私達がよく知る「下人」も出てきますよ。いい感じの役回りです。彼のセリフが今回はしびれましたね。

雨のシーンも森のシーンも確かにいいショットでした。Wikipediaかなんかに乗ってましたが、当時は絶対太陽を直接撮ったりしては行けなかったらしいんですが、やってましたね。いつだってすごいです黒澤明Wikipediaの誰が書いたかもわからない情報だけでも興奮しました。

これもその情報ですが、日本では超不評だったらしいです。このプロジェクトの偉い人も社長に左遷されたりしたらしいです。映画祭にも出すつもりはない。そしたらたまたま別の映画祭でみた外国人の監督が黒澤明さんも知らないとこでベネチア映画祭に出したらしいです。これすごいぞ!って。

そしたら金獅子賞を受賞。金獅子賞って一番ですよ?去年は「JOKER」がとって、一昨年はあのNetflixの映画かなんかでしたよね。それに受賞しちゃったらしいんです。でも監督でも知らないんだから、日本のだーれも知らない。ということはもちろんベネチアに日本人行ってないんですよ。そこで歩いてたベトナム人がアジアだからってトロフィー代わりにもらったらしいですよ。黒澤明ってこんなやつなんだ!って思った人もいるとかいないとか。面白すぎですよね。「羅生門みたいなこと起きてんじゃん!」って黒澤明は言ったらしいです。U-NEXT書きます。

芥川龍之介の「藪の中」を映画化。「世界の黒澤明」として名をとどろかせた傑作

三船敏郎を始め、森雅之京マチ子志村喬千秋実ら実力はスターが集結。人間のエゴと欺瞞をあぶり出しながら、見事なエンターテインメントに仕上げている。

平安時代。激しい雨が降る羅生門の廃墟で旅法師と杣売りが首を掲げていた。そこへ走り込んできた下人の問に2人は不思議な話を語り始める。盗賊・多襄丸が森の中で武士の夫婦を襲い夫を殺したというが、検非違使庁での3人の証言は全く異なっていて・・・

U-NEXTより

 答えありましたね。「藪の中」を羅生門の下に来た奴らに話させたって感じでしょうか。欺瞞をあぶり出す系の映画はみんな面白いんですよね。なんか哲学っぽいというか、そりゃ人間ですから人間のことを書いてたら面白いか。

どんな映画?

上の文めっちゃ短くなってしまいましたが、うんちしたいからです。うんちというのはしたくないときは一切脳内に出てこないのに、したい時には脳内の八割の機能を「うんち」にしてしまいますよね。この間運転中にも2割で運転していましたし、小学生の学校帰りには2割で歩いてオウチに帰っていました。

そんな映画です。人間っていうのは、自分を簡単に制御できなくなるんですよね。私は便意によってコントロール不能になりいろんな損をしてきましたが、登場人物たちは見栄とか虚栄心に蝕まれています。あとは貧困とか、恨みとかいろんなものでねじ曲がった世界があの羅生門の下であり、この世界なんですよね。大げさな演技や、変わった手法でとっていてバカバカしくも感じられますが、そこになんか偏屈さと言うか、こんなこと真面目に表現してたまるかよ、っていう捻くれを感じました。

ちょっとわかりにくいのであらすじのあらすじです。

ボケーッと門の下に座っている2人。そこに下人がやってきてつまんないからなんかはなせ!ってなります。その2人はある事件に関わって、すっかり人間が怖くなってしまっている。

藪の中で死体を見つけたんですよ。そのボーッとしたきこりのオジサンが。それで当時の警察みたいなとこに届けて事情聴取されるんですね。でその死体の人物と生前すれ違ったという僧侶も一緒です。門の下に座ってるのはこの2人です。

そこで多襄丸という山賊をたまたま捕まえたオジサンと、多襄丸もその事情聴取に参加している。そこで話を聞くと、武士の夫婦が自分の前を通った。女が可愛いから自分は後をつけて、策略し旦那を木に縛り付けてやった。女は短刀で激しく抵抗するも、旦那の目の前で女を手に入れた。そしたら女が二人の男に弱みをみせるのは、嫌だからおめえら戦ってどっちか殺せよ!と言う。そういう女性なのに荒々しい気性に引かれて正々堂々戦った後、旦那が死んだ。だがその戦いを見て女は逃げてしまったようで、そんな女は見込み違いだよ!ガハハ!

と多襄丸は言ったらしいんですね。それで下人はゴシップ好きだからもっと話せとせがむんですよね。

そしたらしばらくしてからその女が警察にやってくるんですよ。それで話を聞いてみると全く違うんですよね。随分マイルドな話になっている。そこで事情聴取をしているメンバーは違和感を抱くんです。

こうも話しが食い違うのなら、死人に確認するしかあるまい!ってなってイタコ的な、ユタ的な眉なしババアを呼んで、旦那を憑依させ話を聞くんですよ。ここは笑うところです。

そしたらおとこの言い分も他の二人と全く違うんですよね。恨みに満ちた事件になっているんです。それで僧侶は真面目ですから、「この世は地獄だ」と絶望しているんです。こんなに自分の都合のいいように言う、自分勝手な人間ばかりいるのを認めたくない、認めると地獄になってしまうーー!と言ってんですよね。嘘を付く人間たちに呆然としているんです。

でもきこりのおじさんはそうじゃない。実はきこりのおじさんは、木陰から事件の一部始終を見ているんですよ。死体を見つけただけじゃなくて。関わり合いになりたくない、と言う理由で供述しなかったと言うんですね。真実を知った上でこのような3人の欺瞞に満ちた証言を聞いて人間不信になっているんですよ。そして真実が語られていき、その先には・・・

って感じです。3人の詳細は好きなとこ!に書きますね。

好きなところ

カットやカメラアイなどたくさん面白いところはあります。人物たちの供述を聞き手を排除してカメラに語りかける形にしているのも面白いところでした。あそこのリアリティが後の馬鹿らしさといい感じにバランスが取れています。

ほかにもいろんなところがありましたが、この3人の役割が見事でした。

この作品は人間のエゴとか欺瞞を白日に晒してそっから、って感じなので、この登場人物たちは全て人間にある感情のメタファーになっているわけです。簡単に書いておくと

多襄丸:見栄

女:責任転嫁

男:恨み

みたいな感じですかね。多襄丸はすげえ凶暴な女だけど、それを手懐けられたし、正々堂々と戦ったぜ!みたいなかっこいい感じで話して、女は行為が終わった後の夫の自分を蔑んだ目が苦しくて気がおかしくなってしまった!って自分には非はないし、あたしいい女よ?的な供述をし、男はあの糞女めーーーー!みたいな感じなんですよ。

それぞれが自分をよく見せたかったり、悪者になりたくなかったり、そういう人間の嫌な部分を消して話していて、エゴとか欺瞞とか虚栄心とかいろいろ共通してますが、異なる点はこんな感じですかね。

とりあえずきっちり3人に役割もたせて映画を展開していくのが新鮮で面白かったですね。あとはこの同じシーンをちょっとずつ変えて何度も見せる、みたいなやり方の祖だと思います。誰々の場合!みたいなね。もしかしたらパルプ・フィクション黒澤明がいなかったら撮られていなかったかも知れませんね!しらんけど!

まとめ

最初から最後まで不思議というか、こんな70年前の映画なのにこんな面白い作り方してるんだなーって感心しました。昔のものを見たり聞いたりするのってほんとためになるとつくづく思いますね。温故知新ってガチですごい言葉だと思います。

こんなのを見て畏敬の念よりもやってみたい!!がまさる映画監督たちがすごいです。たぶん彼らはやる、が先行して過去のものを見てるからだと思いますが。なんにもアクションを起こさずに外野でこんな駄文を打っている自分とは違いますね。やっぱり。なんか最後の最後に羅生門の下で話してそうな事を書いてしまいました。気を取り直して行きます。みなさん一週間お疲れさまでした。