ヒモ夫の日常

駄文、愚文

大学生と名画その35(34)「市民ケーン」(1941年)

市民ケーン」(1941年)

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おもしろかった

こんにちは。タイトル違和感ありますよね。ちょっと過去記事を観ていたら「その8」が2つありました。まじで萎えました。ちゃんと回数数えてんのに。もう辞めたくなりましたが、()でいれてここからリスタートすればいいじゃん。という至極まっとうな意見を愛する人、ここでいう私の「バラのつぼみ」が教えてくれました。神です。

ってことで今日は35作品目。今週の映像論の授業でも見ることになっている映画です。教授がどんな解釈をしてくれるのか非常に楽しみ。ここに加筆するかもです。

リストによると

ジャンル:問題作

監督:オーソン・ウェルズ

主演:オーソン・ウェルズ

コメント: 「薔薇のつぼみ・・・」と言い残して死んだ新聞王。米映画協会が選ぶ米映画オールタイムのベスト・ワン。

 だそうです。新聞王ってなに?既存の単語ですか?それとも昭和の遺産単語ですかね。そして邦題の市民ケーンです。ギャグみたいなタイトルですが、現代も「CITIZEN of Kane」なのでまあ仕方ないですよね。

なんか変なタイトルだなあと思ったら、度肝抜かれましたね。もし毎日一本見る生活をしていなければ度肝抜かれましたね。

この活動良いのか悪いのかマジでわからない。もっとちゃんと触れることができるのでは?消化しきれているのか?など日々疑問と戦っています。これが自主的なのが私を表していてすごく好きです。自分を自分で締め付けるのが大好きな私です。

市民ケーン、おもしろかった。41年の映画にして「こんな映画初めて・・」って思ってしまいました。下ネタしか浮かばない時間帯ですね。しみけーんなんつって。

莫大な富と強大な権力を得た男の胸に去来したものとは?映画史に名を刻む大傑作

アカデミー脚本賞受賞作であり、盟友にして名匠、オーソン・ウェルズの代表作。すべてを手にしながらも孤独に苦しむ主人公を体現した彼の俳優としての力量に圧倒される

新聞王として君臨し、絶大な権力を振るった男ケーンが逝去。記者トムスンは、彼が死の間際に放った「バラのつぼみ」という言葉の意味を探っていく。その出自から新聞王として上り詰めていく過程を追ううちに、トムスンはケーンの波乱にして孤独な人生を知る。

ケーンのモデルは、実在した新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト。このために彼の怒りを買い、作品公開に対して凄まじい妨害工作が行われた 

 うーん。この活動はブログとやはり相性がいい。一日一本見るだけでは、忘れてしまうだけでなく、どうしても義務感が出て映画を芯から楽しめないです。これは事実。しかしこうやって感想やあらすじを文字起こしていくうちに、監督や映画についての畏敬が沸いてきて再感動する、っていうか、いかにもそのシーンで涙をながしたかのように、脳内で補完される感覚です。プラスαで記録に残って一生見返す事ができますね。はてなブログお願いだから倒産しないでくれ。今のうちに自己URLを取得しておこうかな。

どんな映画?

自伝映画?っぽい作りです。ある偉大な人物が死に、その人の半生を誰かが見聞していく。その回想が映画になっています。このブログで度々出てきますが、アラビアのロレンスとかもそうですね。

こういう映画は「どんな男だったか」みたいなのを中心にして描写をしていきますが、市民ケーンでは「死後のセリフ」っていうおもしろい要素がある。大統領になるはずだった権力と金の塊のような男が残した「バラのつぼみ」という言葉。なんか暗号っていうか匂わせ満載の言葉ですよね。その意図をさぐれば彼の本質をつかめるんじゃないか!ということである記者が追っていくんですよ。なんか推理モノみたいな要素もありつつ、ケーンの絢爛さと哀愁を表現していく。っていう映画です。おもしろいですよね。こんなのが超大昔に作られているなんて、こんなのがたくさん眠っていて知らないくせに「エンタメ好き」とか恥ずかしくて言えないですよ。勉強しなきゃ。

そしてもう一つおもしろいのが、実在する人物ではなく「モデル」がいることです。ここでオーソン・ウェルズの狂気が見えますね。公開を妨害されたと書いてますが、このモデルの人当時バリバリ生きていたそうです。その身勝手さとか愛人を有名にさせるために新聞パワーを使ったところとか、忠実に再現したあげく死後のセリフまで考えて作品にする。意味がわからなくないですか??

こういうのって普通は偉大な人物だからやる、とかマイナー偉人でも作り手がその人を超愛してて作るならわかりますけど、実在の人物をモデルとした寂しい男の偶像を作り出しそいつにあんな意味深なメッセージをもたせ映画で表現し切るって変態でしょ。インタビュー記事とか読んでみたいですね。マジで何を考えてるのか謎です。魅力的でしかない。

好きなところ

例によって時間がなくて1,4倍速で見てしまいました。どうしても深夜の馬鹿力の放送時間までに観終わりたかったんです。すいません。

まず構成がおもしろいですよね。さっき書いちゃったんですが、普通の自伝ものと違う。楽しませる展開です。そして何故そんな事ができるかと言えば、参考にはしたものの架空の人物であるということですね。そしてそれを自ら演じる。大谷翔平ですね。

好きなところはモンタージュの仕方です。映画の性質上、ケーンに関わる人にインタビューをし、そこから回想シーンに飛ぶので嫌でも映像をつないで行かないといけないんですよ。そこのつなぎ方がすごいです。細かくこだわって編集してると思いきや、20年くらいスッパン飛ばしたり。流れが非常に美しい。

好きなのはライバルの新聞社の記者たちの集合写真があってそれを見ながら「あいつらあんな優秀な記者雇ってやがる」みたいなことを言ってその写真にズーム、そして流れるようにケーンがその写真の中を歩いてきて、ライバル社から全員移籍させた!ってなわかるところ。なんか粋なテレビCMとかでもこのモンタージュの手法ありますよね。天才的です。

まとめ

書き残しておきたいのは「バラのつぼみ」の意図です。この映画は最後のシーンまで観ても明確にケーンが残した言葉を解説してないです。セリフでの説明は、彼があまりに仕事しすぎて城(大豪邸)に残された妻がやっていたジグソーパズルとかけて「最後の言葉は彼の人生ではなく、人生の1ピースでしかない」だけです。

記者は彼のことを追ううちに、最後の言葉とかどうでも良くなるくらい彼のことを知りました。そして私達は記者目線で映画を見るので、それは私達にも当てはまります。

バラと言えばなんかプロポーズとかプレゼントとか、やっぱり「愛」を連想しますよね。そして劇中でもたびたび言及されていますが彼には圧倒的に足りていなかったものなんです。「彼は愛を求めていた」、「彼は自分以外を愛することができない」、「彼はすべてを手に入れて、失った」とか、あんなディズニーみたいな自宅を建てるほど金持ちな男にも、足りていなかったものの象徴なんですよね。

そして彼は異常な収集癖があります。彼の死後遺品を全部映すシーンがあるんですが地方美術館なみの所有量でした。この描写からも彼がいつも満たされていなかったことを読み取れます。そしてここからはネタバレです。

ラストのラストで、「バラのつぼみ」と書かれた子供用のソリが焼却炉に入れられ、燃えていきます。というのも彼は小さい頃親の都合によって、預けられます。この辺よくわかんないんですが、父親と一緒にいるとダメになるからとか言って預けてました。その代わり25歳になった時巨額の資産がケーンに入るという契約のようです。

その時わけもわからぬまま、両親と離れたケーン少年が持っていたのがそのソリです。彼はそのソリを死ぬまで一生持ち続けていたんですね。きっと子供用のソリなのでそこまで価値があるものではないですよね。シュプリームとか書いてたら別ですよ。このソリには「バラのつぼみ」と書いてありました。親からのプレゼントのソリです。

そんなこんなで言葉の意味は「育まれるべきだったもの」なのかなと思います。ケーンにとってもそうだし、ケーンもそれを実現したかったのではないでしょうか。つぼみってこととも一致しますし。

皆さんはこの映画を見てどう感想を持つのでしょうか。こういう多様性をもてる映画は良いですよね!売れたり話題になる、要員でしょう。