ヒモ夫の日常

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大学生と名画 その11「エデンの東」(1955年)

エデンの東」(1955年)

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ジェームス・ディーンすごい

こんにちは。母親がかったトゥルースリーパーが羨ましくてたまらない俺です。

今日の名画は「エデンの東」。もちろんエデンのことは知っています。エヴァンゲリオンのおかげでなんとなく聖書に関する用語は語彙収録されています。後は中学校の時に勧誘のおばさんから聖書をなんとなく受け取り、学校の塀にあった筒状の穴に丸めて差し込んだ思い出もあります。

この作品で知りましたが、このジェームス・ディーンさんはすっげえ人らしいと噂に聞いていました。お恥ずかしい話です。この作品では、心のねじれた主人公キャル役を演じています。僕も若干そうなのでわかりますが、あのドロッとしたぬるい感情を見事に持って演じていると感じました。あの時代に深夜ラジオがあれば彼はもっと楽に生きれたと思います。

よく「自然体な演技」と聞きますね。これまでの人生でそんなもん実感したことが無かったですが、ジェームス・ディーンさんのナチュラル感と言ったらもう。ナチュラルローソン並でした。すごい。

リストによると

ジャンル:しみじみ

監督:エリア・カザン

主演:ジェームス・ディーン/R・マッセイ

コメント: 旧約聖書を現代のアメリカに置き換えた青春ドラマ。エリア・カザンの演出、伝説のジェームス・ディーンのあの眼。(カンカンリストより)

 いやどの眼ーーーーーーーーー!!気になるーーーーー!!これ読んでから見れば良かったですね。しかし、あの超彫りの深い眼で、上目遣いで、表面的だけど奥をみるというか、なんと言っていいかわからないです。表せない。だからあの眼としか書いてないんだな。あの眼が多分ナチュラルさを感じさせるものだったと思います。

 新人俳優、ジェームズ・ディーンを一躍スクリーンのスターに押し上げた傑作ドラマ

農場を経営するアダム・トラスクは双子の息子のうち、兄だけを溺愛していた。蔑まれて育った弟・キャルは、ある時、アダムを捨てた母の存在を知る。一方、アダムが起こした新規事業は失敗に終わり、キャルは損失を取り戻そうとあることを思いつく。

スタインベックの大河小説を名匠・カザンが映画化。際立つ人物描写、濃密なシナリオ、脳裏に刻まれる主題歌と非の打ち所がないが、やはりジェームズ・ディーンは傑出した存在。(U-NEXTより)

 というストーリー。よくありますよね。愛されてない主人公の物語です。この作品も旧約聖書をもとにした。と記述があったので、もはやすべてのこのような設定、ってかラブストーリーは全部聖書の二次創作なのかもしれません!それほどやっぱり、「愛」は永遠のテーマであり欠かせないものなのだと思います。さすがは聖書。義務教育でも宗教の勉強はしますが、「愛」ってたくさん出てきましたよね。キリスト教って。

そしてU-NEXTでもジェームズ・ディーンの偉大さを語っています。まあマジですごいですからね。あんなサイコ野郎をサイコ野郎だ!って思わせることなく演じてますから。「今日はエデンの東を観るよ」って誰に言ってもジェームズ・ディーンって帰ってきますからね。そりゃいつもより、演技を意識して見ますよ。素人ながらすげえと思いました。なんか映画好きなおじさん俳優さんにどこがすごいか、教えてもらいながらみたいです。滝藤賢一とか。

どんな映画

「寂しい映画」です。国とか時代を問わずにいつまでも残り続けるケース、というか情景が繰り広げられています。この作品での寂しさは家庭におけるものですが、学校でも職場でも、友人間でも恋愛関係でも、誰でも抱いたことのある「寂しさ」の映画だと思います。まあ普遍的な思想を元にしたものなのでそりゃそうなんですが。根底にそういったモノがある+ジェームズ・ディーンの圧倒的ナチュラルさで、あそこまで迫ってくる作品になっているのかなと。

子育てマンガとかによくありますよね。次男ができたら長男が嫉妬しちゃって~みたいな。あれですよ。簡単に言えば。キャルの場合はまた遺伝子やらなにやらありましたがね。

好きなシーン

主人公は真面目な兄に比べて少し変わっているんですよね。もちろん性格がひねくれてるのもそうですが、なんか根本的なものもちょい変なんですね。分かりやすく言うとサイコ野郎です。

そしてそれを自分でも理解しているし、コントロールできないイライラもある。それで自身のルーツを知りたがるんですね。少し脱線しましたが、そんな彼の気を引きたいとか褒められたいとか、そういう感情を自分なりの行動原理で効率よく表した結果、サイコになっちゃうシーンは総じて好きです。共感できますし、本当に演技がうまい。

で好きなシーンなんですが。アニキの彼女と遊園地的なところで遊ぶシーンです。お祭りかな。アニキにはよくできた彼女がいます。最初はキャルのどうしようもない感情に怯えていましたが、段々と打ち解ける。そして彼女は逆にアニキの「どうしようもない正しさ」に少し息がつまります。街で一番の聖人と呼ばれる父親ゆずりの正しさです。

彼女のエイブラは、アニキとのデートの30分前になんとなくお祭りに来ます。これもアニキの圧のせいです。そこでナンパされるんですが、それをキャルが助けます。キャルは女にもてます。とっかえひっかえです。顔がイケメンなのもありますが、寂しさが寂しさを呼んでるんだと思います。

やばいシーンの説明だけしたいのに、みんなにこいつ分かってねえなって思われたくなくていっぱい書いちゃう。辞めます端的に行きますね。

観覧車に乗って、エイブラはキャルに本当の気持ちを吐露します。自分はもしかしたら母親の変わりにさせられているのかもしれない。愛ってなんだろう。善悪ってなんだろう。キャルと一緒にいる女の人達はどんな気持ちなんだろう。

アニキの圧倒的な正しさに窮屈さを感じている。と伝えます。「彼は口先や頭だけで愛を語るのよ」っていうセリフが印象深いです。

この秘密デートからの観覧車へっていう一連のシーンが好きですね。この映画の中でも一番立ち止まるところだと思います。表現が稚拙で申し訳ないです。でも好きなものは好きなので。

まとめ

今日で11作目となるわけですが、ここまで見てきて共通すると言うか、映画を成り立たせる、映画じゃないな創作??それとも人間?、にも言えると思いますが、「ヘイト」っていうものが大事なんだなと思います。私はよく使いますが、定義として「人間の中の、怒り、不満、不安等のマイナスな感情のこと」を私はまとめて「ヘイト」って言っています。ヘイトが溜まって、みたいなね。これは私が勝手に思って使っているだけなので、文句は言わせません。

至極普通なことを書いていますが、私は今日やっと理解できました。この感情こそが人なんだなあって。これに関してはなんのオチもないです。

そして書いてみて思うことや理解できること、書きたいことが出てくるんですよね。この映画で理解ができないことがありました。それは終盤のシーンで、キャルは何も知らない兄に死んだはずの母親を見せます。それでアニキは正しさを見失ってしまうんですね。ひどく落ち込み自暴自棄になります。そこが理解できなかった。なぜ母親にあっただけで?と思い、実際の自分の母親にも訪ねました。一応納得はしたもののって感じ。ですが書いていて、そしてこの映画の話を人に話してさらに理解ができました。

まず、「母との出会い」っていうイベントが兄弟それぞれにとって別の影響を与えている。まず二人の中で母親像は「父に相応しい聖女」で、現実はかけ離れていました。キャルは上でも書いたように、自分のルーツが知りたいんです。二人の聖人から生まれた自分の、得体のしれない狂気の正体を。それをキャルは母親に見たわけで、希望のようなものになりました。だからバランスが保てたんですね。しかし兄はすべてを壊された。母親と兄が二人きりになってからのシーンは一切ないんですが、そこで何かあったはずです。そのへんの私の想像不足が原因で理解できなかったんですね。不甲斐ない。まあ兄にとっては絶望だったわけです。

そういう二項対立構造上の話しと、私の想像不足のせいで疑問が生まれたようです。納得です。

これまた非常に面白い映画でした。ラストも良い。見てよかったです。

順調に三日坊主することなくかけてますが、文が長くなりすぎているのが懸念点です。抽出力を上げねばなりません。がんばります。

 

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