ヒモ夫の日常

駄文、愚文

あいだの話し

今日は別にいつもの商品紹介みたいな、案件ブログではないです。

目次とかつけたりとか、他のブログみたいに連載っぽく、何かのカテゴリーに絞って書いたり(は◯めの一歩ネタバレとか)、企画みたいなことをしたりしたほうがいいのかな、とも思うけど目的も違うし、人気ブロガーになってからでいいかな

笑かしたいとか、感動させたいとか、共感してほしいとかそういうのは全部おいたものがいい!!

 

だから思ったこと書きまーす。

いろいろなものの間にいることを実感する。

この世代において、よく言われる&感じやすいものとして 大人と子供のあいだって言うのがある。口にだすのも恥ずかしい「大人と子供のあいだ」だけど。

親åã¨å­åã®ã¤ã©ã¹ãï¼å¤§äººï¼

 

おとなとかこどもとか

働く、養うとかいろいろあるけど、一番は感性のところじゃないかなと、自分は思う。

めちゃくちゃ好きだった、本とか漫画とかアニメとかもう一回見てみたら、思い出補正がかかってただけで、心の中でしょぼってなったり。ゲームの発売日が待ち遠しかったあの気持がなくなったり、ゲームのデータが破損してガチ泣きしなくなった反面、ベッタベタなロボットアニメで興奮したり、youtubeにドハマリしたり、まだ、The Whoの良さがわかんなかったりする。

でも、自分があまり意味を感じないものに人がハマっているのを見て見下すっていうこじらせはもう卒業したんだけど。(卒業できてない人はやくしたほうがいいよ!OBからするとバレバレだよ!)

難しいものも考えることがあり楽しいけど、難しいことばっかりでは恥ずかしくなっちゃう。でも簡単なものばかりでもつまらないし。やっばきっも。

はたして、何が大人なのかわからんけど、ウェイウェイいいなあって思うけど高校の時みたいに学祭ではしゃげないし、テラスハウスは無理だけどあいのりはいけるし、少女漫画ラブコメは無理だけど男主人公ベタラブコメは大好きだし。ふんわりとなにかのあいだである今って面白いし、このままでいたいかも。

f:id:ofsp0604-oto363:20181106063409p:plain

貰うと与えるのあいだ

これはいつかどっちに傾く、って話じゃないけど。

居酒屋のバイトをしていたり、いつかここでも言うかもだけど、学生にビジネス経験をということで、現段階ではみんなで飲食系の経営をしてみよう!って言うことをやったりしている。今まではもらってばかりだったけど、与えるっていう側でもあるっていうことを意識するきっかけにもなった。代わりにお金とか、もらっているんだけど、こっちから何かを与えるってことをしているんだなあ。と。ココらへんの話はまだ始まったばかりだし、よく考えてないので、(文章読んでわかると思うが)ふんわりとした感じ。

好きなのとか

これも貰うとか与えるっていうか、創るか探すか的な話になってくるけど。

最近、音楽とか漫画とかアニメとかドラマとか映画とかにおいて、もっと面白いもの見てえ、キュンキュンしてえ、感動してえ、考えてえ、とか風呂で聞きてえとかめっちゃ探求心がやばい。このブログでも面白いものに出会ったらガンガン書いて言っているけど(まだかけてないのもある)母数が多すぎて自分が求めているものが全然見つからん。映画とかだけでも迷子なるもう、多すぎて。しかも俺、変なとこで泣いたり、変なとこ突いてほしいからなっかなか満足できることも少なくなってきた。

今まではそれで終わりだったけど、自分で創ればよくね????っていう、なんとおこがましいキャンタマちゃんだわ!って感じになってきた。特に服とか、昔からやってる脳内で彼女とラブコメしたりとか(昔から創作してんか?)。服とか作りてえ。

でもこの感覚って、自分にあった性癖のオカズがなくて気づいたらエロ漫画家になってたとか、AV監督になってたとかと同じ感覚だと思う。自分を満足させるのにいっちばん手っ取り早いのは、自分がハマるものを自分で創る、ことなんだよね。自分が好きなポイントって絶対自分がよく知っとると思う。俺ってこんなのが好きなんだあって驚くこともあるけど、ここまで来るとだいたい把握できてるっしょ。

いま世の中にいるクリエイターの人も、自分を満足させるためになった人多いと思う、ってか自覚してないだけですべてのクリエイターの人ってこう考えているんじゃないかな。こういうものがあればいいのに、じゃあ作ったれえい!!的なね。

いっちばん手っ取り早いけど、いっちばんムズイ道でもある

さっきから「いっちばん」って打つたびに、変換に出てくる「一血卍傑」っていう四字熟語が意味不明すぎて一旦脱線して調べていい?

オンラインゲームのタイトルやん、何なんこのPCこんなもんに変換しようとしやがって。

かっけえとかおもしれえでは終わらなくなってきたけど、それを乗り越えた人が何かを創る人になると思うなあ。乗り越えたい。

テレ東のディレクターの人が言ってたけど、テレビの企画って自分と社会と他人が重なることができれば必ずはねていい企画になるらしい、今はなにか思ったことや面白いものをブログで書くだけの、言ってみればニートみたいなことしかできてないけど。後何十年も生きるってこと考えたら、今はあの人が言う「自分」の部分をフォーカスしていきたいな。

 

一般人って嫌だな。

 

なにかのあいだにいる、って大事なことかもしれんね。